〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その5>

啄木文学散歩・もくじ

「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。
その相手は女を装った男だった……。


啄木に送られた“平山良子”の写真


実は、この写真は祇園の芸者「芝池栄美(しばいけ えみ)」という女性の姿だった。


この頃、平山良太郎は「日本葉書会」に入会し、“良子”という名で書簡の交換をしていた。その一人「芝池栄美」という人に良太郎は手紙を出し、返信がきた。


封筒の中には
 「まことにあでやかな芸者風の姿の写真を絵はがきにしたものが、六枚入って居た」
 「この写真の主こそは、当時祇園随一の名妓であった」
 「色香の美しい如く芸も又巧みであった為、祇園第一の花として、京の人は誰れ知らぬ人はなかった」
  (「」内 『啄木秘話』川並秀雄著 冬樹社)


良太郎はこのうちの一枚の写真を啄木への手紙に同封したのだった。







明治41年12月5日、啄木より平山良子宛の書簡


その写真を見ながら啄木はこのような手紙を書いた。

  1

君。わが机の上にほゝゑみ給ふ美しき君。
この写絵となつかしきお手紙手に入り候ふは去る三十日の午前十一時頃に候ひき。その日は終日俥を市中に駈りつ。あはれ心ならずも五日が程は空しく過し候ひぬ。
君はわがこの返りごとの遅れしをとがめ給はざるべし。我は日毎に新聞の小説を一回分宛かき、また昴第一號の編輯にこの十日許りを、葉書一葉かく暇だになく急しく過し候ふなれば。
君は若き女にして、我は若き男に候ひけり。若くして貧しき我は、日毎に物思ふいとまもなく打過しつつ、若きが故にさびし、筆とる時も寂し、市ゆく時もさびし、青春の血のもゆるが如き友と語る時は殊更にさびし。






明治41年12月5日


  2

夜更けて束縛多きわが境遇を思ふ時に至りては、涙もなき深き悲痛に目のみ冴えつ。君は、たとへ姉君弟君にわかれ給へりとも猶人に羨まるるきはの人なるべし。さて猶さびしと仰せらるるや、君は誠にさびしきや。わが机の上にある君は、あでやかに美しくほゝゑみて我のさびしさを慰め顔なるに!






明治41年12月5日、啄木より平山良子宛の書簡


啄木の文字で「1〜4」までのナンバーが振ってある。




(つづく)


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