〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

“渋川玄耳”のふるさと佐賀県を訪ねて <その7 (おわり)>

啄木文学散歩・もくじ


『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさとを訪ねて



[玄耳墓所近くに咲く「キバナシュクシャ」]


いつ読んでも斬新で面白い
  渋川玄耳(藪野椋十)の序文


◎…… 藪野椋十(渋川柳次郎)の序文は、その後無数に書かれた『一握の砂』評の嚆矢であり、今も読むに値する。
『一握の砂』石川啄木 著 近藤典彦 編 朝日新聞出版(文庫)


◎ …… 玄耳は求められて藪野椋十の別号で序文を寄せる。この中で引いた十一首から、玄耳は回想歌よりも、都市生活の現実の中で不安や孤独を平明に歌い出した歌を高く評価したことがうかがえる。「俺等聞及んだ昔から今までの歌に、斯んな事をすなほに、ずばりと、大胆に率直に詠んだ歌といふものは一向に之れ無い」といった軽妙奇抜な文章は、不まじめだと一部の人々の憤慨を買ったという。独往独来、どこまでも玄耳流である。
石川啄木事典』渋川玄耳の項  国際啄木学会 編  おうふう

『一握の砂』  石川啄木
序文
 藪野椋十


世の中には途法も無い仁もあるものぢや、歌集の序を書けとある、
人もあらうに此の俺に新派の歌集の序を書けとぢや。ああでも無
い、かうでも無い、とひねつた末が此んなことに立至るのぢやら
う。此の途法も無い處が即ち新の新たる極意かも知れん。
定めしひねくれた歌を詠んであるぢやらうと思ひながら手當り
次第に繰り展げた處が、

 
  高きより飛び下りるごとき心もて
  この一生を
  終るすべなきか

 
此ア面白い、ふン此の刹那の心を常住に持することが出來たら、至
極ぢや。面白い處に氣が着いたものぢや、面白く言ひまはしたも
のぢや。


  非凡なる人のごとくにふるまへる
  後のさびしさは
  何にかたぐへむ

 
いや斯ういふ事は俺等の半生にしこたま有つた。此のさびしさ
を一生覺えずに過す人が、所謂當節の成功家ぢや。


  何處やらに澤山の人が争ひて
  鬮引くごとし
  われも引きたし

   
何にしろ大混雑のおしあひへしあひで、鬮引の場に入るだけでも
一難儀ぢやのに、やつとの思ひに引いたところで大概は空鬮ぢや。


  何がなしにさびしくなれば
  出てあるく男となりて
  三月にもなれり


  とある日に
  酒をのみたくてならぬごとく
  今日われ切に金を欲りせり


  怒る時
  かならずひとつ鉢を割り
  九百九十九割りて死なまし


  腕拱みて
  このごろ思ふ
  大いなる敵目の前に躍り出でよと


  目の前の菓子皿などを
  かりかりと噛みてみたくなりぬ
  もどかしきかな
 
  鏡とり
  能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
  泣き飽きし時


  こころよく
  我にはたらく仕事あれ
  それを仕遂げて死なむと思ふ


  よごれたる足袋穿く時の
  氣味わるき思ひに似たる
  思出もあり


さうぢや、そんなことがある、斯ういふ様な想ひは、俺にもある。
二三十年もかけはなれた此の著者と此の讀者との間にすら共通の
感ぢやから、定めし總ての人にもあるのぢやらう。然る處俺等聞
及んだ昔から今までの歌に、斯んな事をすなほに、ずばりと、大
膽に率直に詠んだ歌といふものは一向に之れ無い。一寸開けて見
てこれぢや、もつと面白い歌が此の集中に滿ちて居るに違ひない。
そもそも、歌は人の心を種として言葉の手品を使ふものとのみ合
點して居た拙者は、斯ういふ種も仕掛も無い誰にも承知の出來る
歌も亦當節新發明に爲つて居たかと、くれぐれも感心仕る。新派
といふものを途法もないものと感ちがひ致居りたる段、全く拙者
のひねくれより起りたることと懺悔に及び候也。

    犬の年の大水後
                  藪野椋十


玄耳が序文を書いた時、実に38歳!



( “渋川玄耳”のふるさと佐賀県を訪ねて  終わり)
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