〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

明治期のジャーナリスト 渋川玄耳の説明板設置

  • 佐賀県武雄市出身で、石川啄木を見出した明治期のジャーナリストで歌人、随筆家の渋川玄耳(しぶかわげんじ)(1872〜1926年)の墓地案内看板が、同市山内町宮野に設置された。地元のボランティア団体「黒髪山乳待坊会」(野口正智会長)の会員8人が、歴史探訪者のために建てた。
  • 玄耳は東京朝日新聞社の初代社会部長で、夏目漱石を専属作家として獲得することに成功。全く無名だった啄木を登用して衰退した朝日歌壇を復活させたほか、記事の口語体化や社会面の一新、家庭欄の充実など新聞の近代化に多くの業績を残した。鉄幹・晶子夫妻の仲人をしたことでも知られる。

(2014-05-28 佐賀新聞
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