〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「佐野厄除大師」--田中正造と石川啄木


[日の出]


無実の投獄不屈貫く

  • 岩手県との県境にある秋田県鹿角市。市立花輪小学校の正門近くに、田中正造の足跡を伝える看板が立つ。後に足尾銅山鉱毒反対運動で有名になる田中正造が若いころに官吏として勤務していた花輪支庁舎があった。正造はこの地で、飢饉に苦しむ多くの農民を助けた。しかし、正造はそれからまもなく、上司殺害の嫌疑をかけられ、逮捕された。嫌疑が晴れるまでの2年9か月間、投獄される。どんな拷問にも屈せず、潔白を主張し続けた。
  • 正月の三が日には大勢の参拝客でにぎわいを見せた佐野市の「佐野厄除大師」(惣宗寺)。東北での冤罪が晴れ、郷里に帰った正造はしばらくここで寝泊まりしていた。正造はやがて自由民権運動に目覚め、国会開設を求める演説会を同寺でたびたび行うようになる。その後、国会議員にまで上り詰めていく正造にとって同寺は再スタートを切った地だ。
  • 同寺では、正造の本葬も営まれ、約3万人が弔問に訪れた。同寺にある正造の墓の横には、歌人石川啄木が盛岡中学校時代に詠んだ歌碑が立つ。

 〈夕川に/葦(あし)は枯れたり/血にまとう/民の叫びの/など悲しきや〉

  • 啄木は同中3年の時、正造の天皇直訴に心を揺さぶられ、鉱毒被害民のためにカンパ活動をした。碑は高校の国語の教員をしていた先代の住職が建てた。「啄木が好きだった先代は、啄木が足尾鉱毒被害民を思って、和歌を詠んだことにとても感銘を受けたようです」と旭岡住職は言う。
  • 正造の没後100年を迎える9月、同寺では盛大な法要を営む予定だ。

(2013-01-05 読売新聞)