〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

国際啄木学会「2012年秋のセミナー」<その2> 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》



[大室精一 氏]


<ミニ講演 l>
「『悲しき玩具』研究をめぐる論点」 大室精一

『悲しき玩具』の作品論、読解以前の基礎的研究の論点について話したい。

◎『悲しき玩具』における「歌稿ノート」と「諸雑誌」との推敲の前後関係
私は、ノートが最初の歌メモで、それを推敲しなおして雑誌に出しているという形を想定した。

◎ 歌集初出の定義
歌集初出の定義は、『悲しき玩具』と『一握の砂』は全く違う。たとえば、『一握の砂』の場合は、全て諸雑誌などのものを編集しなおして完成しているとされてきた。ところが明治43年の流れについては、20年ほど前は岩城説に従っていて論証してなかった。「真一挽歌」でさえも実は雑誌が先だということを私は論証した。『悲しき玩具』では、「ノート」と「諸雑誌」の推敲の前後が混在している。
それを踏まえて。啄木は「一握の砂以後」というノートを書き出した。『悲しき玩具』では、ノートにはあるが雑誌に出すときに削除された歌がある。反対に、『一握の砂』では配列構成のために入れた歌がある。
結論としては、「歌集初出」という表現は不適切でわかりにくい。「推敲前」か「推敲後」かというだけを記したほうがわかりやすいと思う。

◎ 中点の色
これは非常に重要な啄木からのメッセージだった。
「第一段階」では「諸雑誌の掲載歌が初出」であることを示すために「歌稿ノート」に「黒」の中点を付したと思われる。「第二段階・前期」では逆に「諸雑誌の掲載歌が歌稿ノートからの転載」であることを示すために「朱」の中点を付したと思われる。色分けをしたのは、啄木が前後関係を後に編集するためだった。「第二段階・後期」は、中点が省略されている。省略したのには意味があった。
こう考えると、119番歌において「精神修養」掲載歌が、「初出」でなく「別歌」であるとするなら、『悲しき玩具』歌稿ノートにおける中点、及び中点の色区分には一首の例外もないことが判明することになる。これは私自身が考えることだけではなく、啄木自身が中点を打っているから啄木によって証明されたことがわかる。

◎ 「詩歌」(明治44年9月号)の配列意識
歌稿ノートには配列意図が見つからない。「詩歌」のほうは配列意図が一目でわかる。ノートにない配列構成が「詩歌」にはある。「明治44年当用日記」8月21日に{歌十七首を作って夜「詩歌」の前田夕暮に送る。}とある。作ったのも送ったのも8月21日。これはノートのほうが推敲前だということ。

◎ まとめ
推敲前後ということに限定した報告になった。
古典研究の立場からすると、啄木関係の著書や論文などは印象批評がまかり通っている感がある。論証するということは、客観的に論拠を示し、第三者が50年後、100年後にそれをみて批判できるものでありたい。

(つづく)