〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

国際啄木学会「2012年秋のセミナー」<その3> 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》



[松平盟子 氏]


<ミニ講演 ll >
「現代歌人が読む『悲しき玩具』」〜啄木の「かなし」と「何」 松平盟子

◎「かなし」(「かなしむ」「かなしみ」を含む)の「ひらがな」表記について
『一握の砂』には、合計 74首(うち漢字使用は 5 首)(全 551首)あり、『悲しき玩具』には、合計 26首(うち漢字使用は 3 首)(全 194首)ある。
「かなし」に当てる漢字としては、「悲し」「哀し」「愛し」(現代歌人はこの3つを使っている)がある。
「ひらがな」をつかう効果は、視覚的な柔らかさがあり、読者が「悲」にも「哀」にも読み取ることができる。
啄木
   びつしよりと寝汗出てゐる/あけがたの/まだ覚めやらぬ重きかなしみ。
   ぼんやりとした悲しみが/夜となれば、/寝台の上にそつと来て乗る。
ひらがなの次に漢字の歌がくる。啄木はこれを無意識にやっているとは思えない。
◎「かなし」を詠み込んだ同時代の短歌
若山牧水
   白鳥はかなしからずや空の青海に青にも染まずただよふ
北原白秋
   いやはてに鬱金ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる
土岐哀果
   働くは、/さまで苦しくもあらんかな、/しか思ふやうに、なりし哀しさ。
前田夕暮
   うら若き日の悲しみに別れ来て塵とおなじき身となりにけり
彼らはほとんど同い年。そこに共通な思考がありはしないか。彼らは互いに影響し合い、才能を認め合い、そこから触発されておのれの短歌的世界を形成していく。啄木にしても同じ。オリジナルな「かなし」の世界をつくっているかもしれないが、同時代の空気を背負いその中で反映されたものも無視できない。
◎「何」はどのように使われているか
《初句の出だし》
何となく 何事か 何がなく 何となく 何となく 何となく 何故(かうかと) 何となく 何となく 何か(一つ) 何(思ひけむ) 何か、(かう) 何もかも 何か(一つ) 何がなしに
『悲しき玩具』のなかに「何」が出て来る特徴としては、出だしにこれだけ多量に使っていること。これは、意図があるとしか思えない。「何」の絶対的な数の多さは、意味を持つと考えている。「何」を用いる効果は、あいまいな雰囲気を伝えることばだから、確定性のなさや漠然とした感情の動きなどのニュアンスを伝えることができる。

   何となく明日はよき事あるごとく/思ふ心を/叱りて眠る。
明日よいことがあるという確定があるわけではない。何となくそうであったらいいなという、儚い願望がこめられている。
これだけたくさん使うということは無視できない。もっとその作品の裏にある事実のようなものを明かしていくことによって、啄木のこの「何」という言葉に託された意味合いがより明確に見えてくるのではないか。
 
(つづく)