[特集ページ 北海道新聞]
「啄木の軌跡」 石川啄木 没後100年
《漂泊の歌》
潮かをる北の浜辺の
砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ
今年も咲けるや
- 啄木は1907年(明治40)5月から1年弱、道内各地を漂泊した。四つのマチに住んで六つの職場を転々とし、北海道らしい自然に触れ、多くの出会いを重ねた。函館、札幌、小樽、釧路、旭川、岩見沢・・・。しかし、「小説家になりたい」という志を断ちがたく上京を決意。
- 啄木研究者の近藤典彦さん(神奈川県在住)は言う。「啄木は北海道で初めて、本格的な勤め人となり、赤裸々な人間関係を身にしみて体験しました。この体験が啄木を“詩人”から“生活者”へと転回させていきます。北海道漂泊の一年弱が、国民詩人・啄木の道を切り開いたのです」
《募る望郷》
汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来れば
襟を正すも
- 啄木ほど故郷を集中的に詠んだ歌人はいない。「一握の砂」には、故郷に関する歌が50首以上収められている。その啄木が生まれ育った東北地方を襲った東日本大震災。「故郷喪失」感が広がる今の社会状況と重なり、被災者も含めた、日本人の心を揺さぶる。
- 盛岡市の啄木研究者、遊座昭吾さんは話す。「啄木は故郷を出た後、北海道を放浪し東京に出て、家族がそろった故郷のありがたさが分かったのだと思う。啄木の歌には、故郷へのそんな強い思いが込められている」
- 啄木研究で知られる国立台湾大学の太田登教授は言う。「家を失い、家族や故郷との絆の重みを考えている人々にとって、心にしみる歌の言葉は豊かな栄養源となる。啄木の歌は故郷を思う人に共感を与え、生きる勇気と希望をもたらすだろう」
《日常を取り戻す機会に》
糸きれし紙鳶(たこ)のごとくに
若き日の心かろくも
とびさりしかな
- 石川啄木記念館学芸員の山本玲子さんは、「糸きれし紙鳶のごとくに」という言葉が、東日本大震災で故郷をなくした被災者と重なります」「故郷への思いを込めた啄木の歌は、被災者の背中を押してくれるように思えてなりません」と語る。
(2012-01-04 北海道新聞)