〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木の交友録(18-20)「街もりおか」

[「啄木の交友録」コピーと1月号表紙]


月刊誌「街もりおか」
啄木の交友録【盛岡篇】執筆 森 義真 氏
  2010年11月号(No.515)〜2011年1月号(No.517)

18. 秋浜 市郎・三郎 親子(2010-11)
明治39年、啄木が渋民尋常高等小学校代用教員となった時の主席訓導が秋浜市郎であり、高等科で啄木から英語や歴史の課外授業を受けたのがその子・三郎であった。三郎は啄木顕彰に尽力し、全国第一号となった渋民の北上川河畔の歌碑建立に力を注いだ。「渋民啄木会」会長として活動し、石川啄木記念館開館に向けても大きな力を発揮した。

19. 阿部 修一郎(2010-12)
修一郎は、盛岡中学の1年から5年まで啄木と同じクラスで、級長を務めた。修一郎と啄木は英語のユニオン会(ユニオンリーダー輪読)の仲間であった。修一郎たちは、詩集『あこがれ』刊行前後における啄木の不行跡を諫めるため厳しい「絶交状」を書き送った。昭和25年、啄木没後39年経ってから、除名解除の追悼法要と追懐座談会を宝徳寺で営み、啄木を偲んだ。

20. 佐藤 善助(平野八兵衛)(2011-01)
善助は盛岡中学で啄木の1級下にいて、白羊会のメンバーとなり親しく交際した。明治38年、啄木が欠席した「花婿のいない結婚式」の世話をした善助は、盛岡駅に着く汽車の時間が来るたびに迎えに行ったが、啄木はとうとう現れなかった。

   タウン誌「街もりおか」に連載中