郁雨の古里に並ぶ 郁雨と啄木の歌碑 <3>
友情を歌と共に刻んで
・石川啄木を物心両面で支えた歌人宮崎郁雨の新発田市荒川の生家跡に、2人の歌を刻んだ歌碑が完成した。
・宮崎郁雨(本名大四郎)は1885年に当時の北蒲原郡荒川村に生まれた。家の没落をきっかけに北海道・函館に移り住んだ後、文芸結社「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」で啄木と出会った。啄木も一家離散を経験して故郷の岩手を離れており、境遇の似た2人は親交を深めた。郁雨は啄木が単身上京した後も、函館に残りその家族の生活を支えた。
・新発田城南ロータリークラブ(RC)は1998年、郁雨を縁に函館亀田RCと友好クラブになった。25年目に当たり、協力して歌碑を建てた。
・郁雨の生家跡は現在、市立松浦保育園になっている。入り口脇に建てられた歌碑は高さ約2メートル。郁雨と啄木それぞれが詠んだ短歌を二つの「安田石」に刻み、肩を並べるように立つ。
(2022-06-19 新潟日報)
古里や
新発田につづく野の道も山も霞めり
わが夢の中
郁雨
<ルビ>霞めり=かすめり。
大川の水の面を見るごとに
郁雨よ
君のなやみを思ふ
啄木
<ルビ>面=おもて。
隅田川の水面を見るたびに、郁雨よ、私はあなたの煩悶を思い浮かべて同情の念を禁じ得ないのである。
初出は歌集「一握の砂」。若き日の郁雨の「なやみ」は当時の彼が直面していた人生に対する懐疑と恋愛・結婚問題の悩みであった。「大川」は東京を流れる隅田川下流の異称。
『啄木歌集全歌評釈』岩城之徳 著
・啄木研究家で十日町市の作家山下多恵子さんは「郁雨の歌には、幼い頃、追われるように故郷を離れた様子が表れている。啄木の歌からは若い頃の郁雨の姿が見えてくる」と話した。
・(2022年6月12日に行われた)除幕式に、初めて郁雨の故郷を訪れた孫の宮崎雅史さん(72)は「ここが宮崎家のルーツ。心が落ち着いた」と感慨深げ。啄木の曽孫とは現在も東京でご近所同士で交流が続いているという。
(2022-06-19 新潟日報)
(つづく)
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