〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

盛岡文士劇は「日本文学史に残る公演」

ムギナデシコ

岩手日報 日報論壇

啄木が結んだ縁に目頭熱く

   冨田淳治(東京都北区 地方公務員)

  • おもひでの山、ふるさとの山と歌われた姫神山。登頂後その足で石川啄木記念館を訪ねた。盛岡市と東京都文京区は友好都市の提携を結び、その企画展「啄木と文の京」が開催されていた(2019年)。それから4年後、盛岡文士劇の文京区公演が実現した。
  • 司馬遼太郎は明治人の「徳」の例として啄木と佐藤北江との出会いをあげている。朝日新聞へ就職希望する啄木が編集長である佐藤を訪ねる。二言、三言を交わしただけで互いに大いに笑い面接は2分で終了した。朝日への入社後すぐから啄木は給与の前借を始める。佐藤は自分の懐から立て替えた。
  • 盛岡中学から親交のあった野村胡堂による啄木の天才ぶりをうかがえる興味深い発言が残っている。
  • 文士劇カーテンコールで啄木のひ孫の石川真一氏が最後にあいさつをされた。左隣に立つ京助孫の金田一秀穂氏へ「曽祖父が大変お世話になりました」と礼を言われ、固い握手を交わされた。鳴りやまぬ拍手。それはドラマを超える真のドラマだった。
  • 脚本の道又氏が言ったとおり「日本文学史に残る公演」となった。すべては盛岡と文京区の「徳」のたまものに相違ないと思えた。

(2023-05-30 岩手日報