石川啄木と父、伯父 —— 野辺地の縁 ②
旅の途中 心和らぐ 滞在30時間余
- 野辺地町立歴史民俗資料館長などを歴任した高松鉄嗣郎は著書「啄木の父一禎と野辺地町」で、石川啄木の同町での滞在時間は合わせて「30時間余にすぎない」と推測している。
- 最初に訪れた1904年は、啄木にとって初めての北海道訪問で、すぐ上の姉・トラが嫁いだ山本千三郎を訪ねる途中、野辺地町に寄っている。
- この際、啄木は浜辺を散策している。弘前市立郷土文学館の櫛引洋一企画研究専門官は同町には啄木にとって引かれる存在だった海やハマナスがあることを挙げ「自然の風物に触れた良い時間だった。慌ただしい旅の途中でも心が和らぐひとときで、のんびりとした時間を過ごしたのだろう」とみる。
- 続いて訪れたのは06年2月。最後の訪問は翌07年8月。函館市に新居を構えた啄木がカツを迎えに父母と対月がいる常光寺を訪ねた。
- 対月や一禎にとっての野辺地とは。国際啄木学会評議員で、青森市の生協さくら病院の西脇巽名誉院長は「対月にとっては自分を住職として受け入れてくれた場所。一禎にとっては最後に頼れる恩師がいる場所。ただ、2人ともやはり本当は盛岡にずっといたかったのではないか」と話した。対月は盛岡で亡くなっている。(兼平昌寛)
*この連載は5回の予定です。
(2021-10-06 東奥日報)
(つづく)