〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木と親密になった釧路の女三人

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カンヒザクラ

新・木曜「カルチャー・考える」【北の文化】

啄木と釧路の女 小林芳弘(国際啄木学会会員)

親密さ、たたかれた芸者たち

 上司と衝突して暴力を振るわれ、小樽日報を辞めた石川啄木は妻子を残したまま、明治41(1908)年1月21日から76日間、釧路に滞在した。この間、釧路新聞(後の北海道新聞)の編集長格として活躍、読者投稿の「釧路詩壇」を設け、政治評論のコラム「雲間寸観」に健筆をふるった。花柳界に出入りして「紅筆(べにふで)便り」という艶(つや)だね記事も書いた。

  • 啄木が親密になった芸者は3人いた。1人目は釧路で最も評判の高かった喜望楼の抱え芸者小静で、寝物語で聞いた長い身の上話を啄木日記に綴(つづ)っている。
  • 最も若い芸者市子に興味を持ち始めるのは、小静について日記に書いた直後である。同僚らとともに市子のいる鹿島屋に通い始め、東京の女性から送られてきた白梅の花をプレゼントしたことをきっかけに、啄木22歳の誕生日の2月20日夜、ふたりはわりない仲になったと思われる。
  • 3人目の小奴と出会い、惹(ひ)かれていくのは、それから間もなくである。啄木自身が小奴との関係を吹聴するような記事を書き、同僚記者もふたりの仲を揶揄(やゆ)する記事を載せたので周囲の目は小奴ひとりに注がれた。やがて、まわりの人間との関係がこじれて仕事に嫌気がさし、3月下旬から啄木の欠勤が始まる。

(2021-03-04 朝日新聞

 

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