〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

『なつかしい時間』(長田弘 著)に登場する啄木

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透かし塀

『なつかしい時間』

 著者 長田 弘

 岩波新書

 

第一回桑原武雄学芸賞

(わたしがもっとも大きく揺さぶられた本)

  • 1977年にでた『啄木 ローマ字日記』です。日本語で書く一人として、啄木がローマ字で書き、フランス語を専門とされた桑原さんが現代の日本語に訳されたこの本は、問いかけをもった本です。桑原さんがあらためて世に突きつけるまで長く忘れられていたこの本ほど、言葉を書くということが何を表現し、何を意味することかを、読むものに考えさせる本はありません。

 

「場」をつくる

(議論小説、座談小説ともいうべき、議論、座談のおもしろさが物語をおりなす文学の楽しみがかつてありました。その一つに、石川啄木の『我等の一団と彼』という小説があります。)

  • 明治という時代の終わりとともにわずか二十七歳で世を去った啄木が、後の世にのこした遺作が『我等の一団と彼』ですが、そこに印象的に綴られるのは、「我等の一団と彼」が「場」を共にして、議論を交わすことで、心を開いてゆく光景です。
  • 「彼」が「我等の一団」と「場」を共にするようになって、私が気づいたことがあります。一つは、彼の議論の姿勢です。彼はいつも、ごろりと仰向けに寝て話すのです。寝ころんで話す。会議などではできない話し方です。しかしそれができる「場」が、彼が心を開くことのできる「場」だった。
  • 啄木は「しごと」を「為事」と書いて、「仕事」とは書きませんでした。そうして、「我等」の生活が、「今日というところを昨日と書き、明日というべきところを今日と言う」ばかりで、「如何にこの一日を完成すべきかということでは無い」こと、そうやって一日先、一日先と駆けているばかりだと言いました。それが、『我等の一団と彼』に啄木が描いた日本という国のあり方です。わたしたちにとっての、そうした「今日」の「慌ただしく、急がしい」(急ぐの意味の、急がしい)あり方は、今でも変わっていません。
  • 「場」という良き言葉をもっているにもかかわらず、わたしたちには、なくてはならない「場」というのが見えなくなってしまっているということはないでしょうか。「場」の思想がとりもどされなければならない。「場」をつくれなければ未来もまたないからです。

 

『なつかしい時間』
  著者 長田 弘
  岩波新書(新赤版 1414)2017年第10刷発行