玉蜀黍<3>
-啄木の歌に登場する花や木についての資料-
玉蜀黍
しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにほひよ
石川啄木・その短歌と「におい」天野慈朗
・「におい」が連想される言葉が使われている102首の短歌についてだけに限定。
・最も多く用いられている「におい」は「ものが焼けるにおいで27首。
・「食物のにおい」のするものは、7首。
啄木がこれほど多く「ものが焼けるにおい」を用いたのは何故だろうか。まず考えられることは、その「におい」が非常に強烈な印象を与えるために、啄木の心にも鋭く突き刺さったということだろう。さらには、ものが燃えるとその後に強烈な空虚感が残るということもあるだろう。そして、一面に立ちこめた煙は心を重くし、それは長く尾を曳く。これらの感覚は啄木の短歌を読んだ時に感じる感覚そのものである。すなわち、啄木は「ものが焼けるにおい」を用いることにより彼の心を表現したことになる。そして、それは偶然にも彼自身の生命をも象徴することになったのである。従って、「生活派歌人」啄木のイメージには、こうした「ものが焼けるにおい」の寄与も大きいものと思われる。
(「啄木研究」第五号 昭和55年 洋々社)
詩集『あこがれ』には、「匂ひ」という言葉が数多く使われているが、・・・具体的で現実的な匂いでない場合が多かった。
・・・ところが『一握の砂』では、『あこがれ』の時とは異なって現実的な匂いとなった。・・・故郷と関係した匂いとしては、とりわけ焼いた食べ物のイメージが連想されたようである。
札幌を詠んだ中に「玉蜀黍の焼くるにほひ」があり、又、『一握の砂』以外では「蜜柑の皮の焼くるがごときにほひ」という表現があり、匂いの中では焼いて香ばしいものが一番好ましかったようである。
(『石川啄木事典』「匂い」の項より抜粋 2001年 おうふう)
啄木は「しんとして幅広き街の秋の夜の玉蜀黍の焼くるにほひよ」と歌って、札幌の秋をなつかしんでいますが、この光景はいまも残っていて、美しいポプラ並み木やエキゾチックな明治北海道のおもかげを伝える時計台と共に、この北の都を訪れる人びとの旅情を慰めてやみません。
啄木が住みついたころの札幌は、開拓以来40年に近い歴史の跡を残して、もとは原始林であった土地につつましく生きていた。彼はこの「静けき都」を愛し、小説「札幌」の冒頭にも「・・札幌の二週間ほど、慌しい様な懐しい記憶を私の心に残した土地は無い」と書いている。
昭和五十六年九月十四日、札幌の大通公園の一角に、ブロンズ像の啄木歌碑が建立され、台石に「玉蜀黍の焼くるにほひよ」の歌が刻まれた。
それは人口百五十万を有する東北以北随一の大都会に成長した札幌の、啄木への鎮魂歌である。
(岩城之徳・後藤伸行『切り絵 石川啄木の世界』 昭和60年 ぎょうせい)
(おわり)