〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「トウモロコシ=玉蜀黍 <2>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

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 玉蜀黍<2>

-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

玉蜀黍
     しんとして幅広き街の
     秋の夜の
     玉蜀黍の焼くるにほひよ

 


  

宮崎郁雨「歌集『一握の砂』を讀む」

 札幌の街の空氣がよくうつし出されてゐる。『しんとして幅廣き街』の一句で札幌の全体を云ひ盡してゐると僕は感じて讀んだ。それに『秋の夜』と『玉蜀黍の焼くるにほい』を配したので札幌と云ふ氣持がすつきりと出てゐる。札幌の何となく懐かしき思ひのする土地なる如くこの歌もなんとなく底懐かしい思ひのする歌である。

(遊座昭吾 編『ー 啄木と郁雨 ー なみだは重きものにしあるかな』 2010年 桜出版)

 


 

 この歌には鑑賞すべき大事なポイントが二つあると思われます。日記に記した「路幅広く人少な」い街を、「しんとして幅広き街」と表現している点、そして、秋の夜の「玉蜀黍のにほひ」と押さえ、北海道のもつ風土の匂いをうたっている点です。

 さらにその二つのポイントを押さえているのは「しんとして」ということばと、「焼くるにほひ」という、ともに静けさと鼻をつく匂いの感覚的情緒です。特にも玉蜀黍に醤油をつけて、それを焼いて食べる北海道独特の味わい方に、啄木はふるさとで食べた玉蜀黍の味をふまえた上で、強く心ひかれ、その匂いに詠嘆しているのです。

(遊座昭吾『啄木秀歌』 1991年 八重岳書房)

 

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 札幌の夜の風景を歌ったものだが、屋台で玉蜀黍を焼いて売る風景は今はどうなっているか知らぬが、私の居た頃にも見られた。北海道の風物詩と言える。啄木は初めてみたのであろうか、詩情をさそわれたに相違ない。

(井上信興『野口雨情そして啄木』 平成20年 渓水社

 



<生誕百年 石川啄木 明治とは何であったか>

 座談会「明治北海道と啄木」

     渡辺淳一・本林勝夫・司会 岩城之徳

渡辺淳一)・・・そういう意味で啄木は、北海道に対しては異国人で、しかも流浪というロマンチックな背景があって、筆が冴えた。

 「しんとして幅広き街の秋の夜の玉蜀黍の焼くるにほひよ」
札幌がこれだけ近代化しても、駅を降りて、ちょっと秋口に、ビルのあいだのペエブメントを歩いても思い出す歌で、深々とした雰囲気はまさにこの歌の通りで、啄木はこういう情景描写は実にうまいんですね。だから僕は札幌に降り立って、札幌の町を小説に書こうとしても、こういうふうにうまく書かれちゃうとやられたという感じになっちまう。

(「國文學學燈社 昭和59年6月号)

 

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(つづく)