〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「日記を焼け」の啄木の遺言は……

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ハタケニラ

札幌文化系散歩

石川啄木日記漏えい事件」北海道新聞日曜版で考える文学者の日記公刊

  • 今日の北海道新聞の別刷り日曜版「時を訪ねて」のテーマは、函館が舞台になった『啄木日記漏えい』でした。今回は、この特集記事をもとに「石川啄木日記漏えい事件」を振り返ってみたいと思います。
  • 石川啄木の日記は、明治35年に書かれた「秋韷笛語(しゅうらくてきご)」以降、死の直前に書かれたものまでが知られていますが、1912年(明治45年)4月13日、啄木は親友の金田一京助と丸谷喜一に、日記を処分するよう言い残して亡くなりました。
  • ところが、金田一京助は父親の危篤で帰郷することとなり、丸谷喜一も啄木の葬儀直後に徴兵検査を控えていたため、日記は処分されないままで、啄木の妻・節子夫人の手に渡ることになります。
  • 啄木の遺言「日記を焼け」については節子夫人も了承していましたが、私立函館図書館(現在の函館市中央図書館)の岡田健蔵館長から、日記を図書館の啄木文庫に寄贈するよう、強い要請を受けていました。(北海道新聞別刷り『時を訪ねて』2020年6月7日)

(2020-06-06 札幌文化系散歩)

 

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