〇 新日本歌人
「啄木と表現」──口語と文語をめぐって 田中 礼
啄木が詩歌でそのおもいを抒べる時、どのように口語、文語を使ったかということは、啄木の継承の上で大切である。そして口語、文語の問題を考える上に、明治時代での言文一致運動が前提になってくる。それは詩歌にも大きな影響を及ぼした。
- 短歌についてはどうか。 啄木の歌は明治四三年に入ってから、口語的発想のものが多くなる。けれども、時代閉塞の状況、日韓併合、大逆事件への反応のなかで、文語歌が現れる。これは、先の詩(「呼子と口笛」)の場合と同じであり、逆行現象のように見えるが、本質的には、むしろ画期的な作品を作ったことになる。
(16)何となく顔がさもしき邦人の首府の大空を秋の風吹く (17)つね日頃好みて言ひし革命の語をつゝしみて秋に入れりけり (18)今思へばげに彼もまた秋水の一味なりしと知るふしもあり
- 啄木は瞬間(いのちの一秒)の意識、思想内容を基盤に置き、その表現のために、口語(現代語)と文語(昔の言葉)のそれぞれの長所を、自在に使い分けた。 (24)の「おやここに」に、(25)の「何か、かう」などは、口語でなくては表現できない意識であるが、同時に「二三行なれど」(24)や「ペンを取りぬ」などは、文語を活用して歌の調子を守っている。 先の文語歌にしても、(21)の「時代閉塞の現状を…」とか、(23)の「明治四十三年の秋…」とかいったように、いきなり現代語を押し出して古典和歌の調べを破り、新しい文語調とでもいえるものを作り出している。 啄木短歌の表現は、多くの継承してよい問題を含んでいるように思われるのである。