◎文芸誌 「視線」第7号 2017.1
(「視線の会」発行 坂の町 函館から発信する 新しい思想 新しい文学 新しい生活)
特集 II 石川啄木来函110年記念
◯ 啄木調短歌 ──その誕生と確立──
近藤典彦
《はじめに》
- 1902年(明治35)10月から約七年間の文学的・思想的遍歴の後、石川啄木はかれの根源的弱点となっていた天才主義を克服した。1909年(明治42)秋のことである。
- 啄木はこの世のあらゆることを直視する人となった。まず何よりも先に自分自身を徹底的に直視した。その結果、自分は「天才」でも「詩人」でもなく、普通の「人」であると認めた。そして長い間馬鹿にしてきた、自分と家族が生きてゆくための勤め(職業)が生活上の最優先事項であり、家族の扶養こそもっとも重要な「責任」であることを、誠実に再確認した。これまでの自分を「空想家──責任に対する極度の卑怯者」と規定した。(「弓町より」)。
- それはとりもなおさず、「生活」の発見であった。世の中に無数にいる「生活者」の発見でもあった。「生活者」の発見は「民衆」の発見でもあった。
- 啄木は新生した。かれが「天才」を捨てた時、天才石川啄木が誕生した。そして詩論「弓町より(食(くら)ふべき詩)」を書き、その詩論に基づいて口語自由詩を創作。明けて1910年(明治43)には小説「道」を書いた。詩も小説も立場としては自然主義に拠っていた。
- しかし短歌については自然主義的短歌とはどういうものか、探りあぐねていた。
以下に考察するのは、前田夕暮の短歌を摂取すると同時に一気に啄木調を独創して行く過程である。
(以下略 「啄木調の誕生」、「啄木調の確立」、「啄木調とはなにか」)
◯ 文学を求めて ──啄木の北海道──
山下多恵子
- 「函館から札幌へ、札幌から小樽へ、小樽から釧路へ(略)食を需めて流れ歩いた」(弓町より)──北海道での日々を振り返って、啄木はこう書いた。
- 石川啄木の人生と文学に、決定的な影響を与えたのは、彼の父が住職を罷免されたことではないか、と思う。そのときから、両親に溺愛されてのびのびと育ってきた苦労知らずの啄木が、一家の主人となって生活の全てを負うことになったのである。それ以後の啄木の文学と思想は、いつも「食=せいかつ」というものを意識させられる中で、深まっていったといえるだろう。
《文学を求めて》
函館:明治40年5月5日〜9月13日
<函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花>
- 函館の文芸結社「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」の歌会を通して、その頃短歌から遠ざかっていた彼に五七五七七のリズムがよみがえったことは、特筆すべきである。この経験がなければ、啄木は数々の名歌を生み出し得なかったかも知れない。
- 友人・宮崎郁雨の功績の一は、啄木上京後の家族の生活を引き受けたこと、であると思う。それは言葉を換えれば、啄木にひとりの時間を与えた、ということであろう。つまり自分をしっかりと見つめる時間である。
- 8月25日夜に函館の街を襲った大火に遇い、啄木は職を失い、北海道を転々とすることになった、と言われている。だが、それがきっかけにはなったであろうが、それがなくても彼はこの街を出て行ったであろうと思われてならない。啄木は漂泊への衝動を、もとから胚胎していたと思うのである。
(以下略 札幌・小樽・釧路 《小説の中の北海道》)
◯ 啄木歌「肺が小さくなれる」考
栁澤有一郎
「肺が小さくなれる」歌をめぐって
- 1911(明治44)年、結核性腹膜炎を発症した石川啄木は、2月、東京帝国大学付属病院に入院する。体力の消耗ははなはだしかった。その後、病状は安定し退院するが、梅雨時から悪化し8月までほとんど寝たきりの生活が続いた。
- 8月7日、一家は小石川区久堅町へ転居。啄木の病状は小康状態を保つ。
何がなしに
肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ──
秋近き朝。
- 『悲しき玩具』の最後部に置かれた一首である。
- 岩城之徳は「胸を病む者の実感をしみじみと伝えた秀作」と定義し「『肺が小さくなれる』』は病状が進んで肺が圧迫され、小さくしか呼吸できなくなったのでこのように歌ったのであろう」と解した。しかしそれは誤ったものと言わざるをえない。
八月二十一日(啄木日記 明治44年)
歌十七首を作って夜「詩歌」の前田夕暮に送る。
朝に秋が来たかと思う程涼しかりき。
何がなしに
肺の小さくなれる如く思ひて起きぬ
秋近き朝
妻の容態も漸くよし
- 己の身体が快方に向かいつつある喜びと、妻の容態が持ち直したことの安堵感に包まれて、日記は編まれているのである。
- 気象庁東京測候所の観測記録によると、明治44年8月20日、急に気温が下がる。最低気温は21度と、この月でもっとも低い。また、20日夕方からまとまった雨が降り地表の温度を下げた。雨によって洗われた空気は秋の到来を感じさせ、その冷気は清々しさを与えたことだろう。「肺が小さくなれる」歌は、それゆえに、この実感の延長線上に解釈されなければならないのである。
(以下略 《「電燈の球のぬくもり」歌との関係》)