〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

石川啄木を死に至らしめた「結核」

◯シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第19回
夭折の歌人石川啄木を死に至らしめた「結核」は、なぜ根絶できないのか?

  • 4月13日は夭折の歌人石川啄木の命日である。 1912年(明治45年)に満26歳という若さで没している。死因は肺結核。この病は、啄木のみならず、彼の家族をも苦しめた。平成26年度の日本の結核患者数は1万9615人。今回は、啄木の生涯をたどりながら、かつて日本では「国民病」「亡国病」とまで言われるほど猛威をふるった結核について見ていきたい。


 「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川」

  • 小学校を首席で卒業、神童と噂される。中学時代は、与謝野晶子に憧れ、妻・節子と恋に落ちた。盛岡中学中退後、19歳で処女詩集『あこがれ』を出版。渋民小学校代用教員、新聞記者を経て上京、『東京朝日新聞』の校正係に。24歳、1910(明治43)年、551首を収めた歌集『一握の砂』を出版。
  • 25歳、1911(明治44)年ころから腹部膨満をきたす。2月、帝大病院に入院。慢性腹膜炎のため腹腔穿刺(ふくくうせんし)を受ける。3月、肋膜に溜まった胸水を吸引し退院。自宅療養するが、4月に肺結核を患い高熱が続いた。

 「呼吸(いき)すれば胸の中(うち)にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりもさびしきその音!」

  • 1912(明治45)年3月、母・カツが肺結核で死去。衰弱が著しかった啄木は危篤に陥り、4月13日午前9時30分ころ、妻・節子、父・一禎、若山牧水に看取られながら、小石川区久堅町で肺結核のため永眠。享年26。
  • 妊娠8カ月だった節子は、次女を出産後、2人の遺児を一心に育てる。だが、啄木が死去した翌年の5月、肺結核に罹り、啄木を追うように26歳で病没。


平成26年度の結核患者は1万9615人〜なぜ根絶できないのか?

  • 結核に対する免疫をもたない若い世代が増え、集団感染や院内感染が増加している点。
  • 免疫力の弱い乳幼児、喫煙者、糖尿病や胃潰瘍エイズなどの患者の発病、ホームレスなどの社会的・経済的なハンディをもつ人の発病、抗生物質が効かない多剤耐性菌の出現による発病なども目立っている。
  • これらのデータから推測すると、啄木の家族は、結核菌による空気感染で発病した可能性がきわめて高い。
  • 啄木は生活苦や病苦だけに苛まれて一生を終えたのだろうか? 少年のような邪気のない眼差し、柔らかな感性を持て余しながらも、人生の苦悩と希望を大らかに歌いあげた啄木。その瑞々しい肉声は、日本人の琴線を震わせる。(佐藤博

(2016-04-14 HEALTH PRESS)

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