- 『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもあった。
- 1912年4月15日 今から104 年前の今日、45歳の漱石は若くしてこの世を去った才能ある歌人に今生の別れを告げるべく、東京・早稲田南町の自宅から浅草へと向かった。その歌人とは、石川啄木であった。啄木が26年と2か月という短い生涯を閉じたのは、この2日前の4月13日だった。
- 啄木は3年前から東京朝日新聞の校正係をつとめており、長与胃腸病院に入院中の漱石を見舞ってくれ、漱石の側からも啄木にいろいろとアドバイスを与えたこともあった。漱石の知遇を得たことは、嬉しく価値の高い出来事だったのである。
- 啄木が体調を崩し病は肺結核へと移行し、寝たきりの状態となってしまった。薬代も払えぬほど貧しい啄木のために、漱石夫妻は門弟の森田草平を通じて2度にわたって見舞い金を届けていた。啄木の葬儀は、親しくしていた歌人の若山牧水や同郷の言語学者・金田一京助らの世話により、浅草の等光寺で行なわれた。
- 『悲しき玩具』には、こんな短歌も載せられていた。《買ひおきし 薬つきたる朝に来し 友のなさけの為替(かわせ)のかなしさ》《新しき明日の来(きた)るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど−−》漱石はこの短歌をどんな感懐を抱いて読んだだろうか。
(2016-04-15 Yahoo! JAPANニュース>サライ)
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