〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑬ 山)


[ユキヤナギ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑬ 山
  信仰心と望郷の思い

 ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな

  • 「一握の砂」に収められているこの短歌は、盛岡駅前をはじめ多くの碑に刻まれている。啄木は渋民村の情景を、小説「鳥影」では「男神の如き岩手山と、名も姿も優しき姫神山」、小説「雲は天才である」中で「雲をいただく岩手山/名さへ優しき姫神の/山の間を流れゆく/千古の水の北上に」などと表現している。
  • 「石をもて追はるるごとく」故郷を離れた啄木の脳裏に、ふるさとの山が「ありがたき」存在として浮かんだのはなぜだったのか。詩人草壁焔太さんは著書「石川啄木『天才』の自己形成」で「この詩人は無信仰であったが、あえて探せば、岩手山に信仰心に近いものをもっていた。(中略)敗北しても挫折しても、自己を失うまいとした啄木の不屈で果敢な姿勢は、心のうちの岩手山の雄姿と無関係ではなかったであろう」とその存在の重要性を指摘する。
  • その岩手山に啄木が登ったことをはっきりと示す資料はない。しかし、登山したのではないかと思わせるような記述が残っている。1902(明治35)年11月2日の日記に記された短歌に「岩を踏みて天の装ひ地のひゞき朝の光の陸奥(ミチノク)を見る。」の後に(岩手山に登る)とある。石川啄木記念館の森義真館長は「このような歌を詠むということは、盛岡中学時代に岩手山に登ったことがあったのではないか」と推察する。


 かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川

  • 歌誌「りとむ」発行人で日本歌人クラブ会長の歌人三枝昻之(さいぐさ たかゆき)さんは「『渋民村』という地名は入っているが、山や川には具体名が入っていない。それゆえに、それぞれが自分の故郷の山や川を思い浮かべられる。万人に受け入れられる親しみやすさにつながっている」と紹介する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-03-30 岩手日報

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