〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑪ 女性(下))


[どのはな みても きれいだな]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑪ 女性(下)
  北海道の思い出深く

  • 啄木は第1歌集「一握の砂」の「忘れがたき人人 二」全22首で、函館・弥生尋常小学校時代の同僚、橘智恵子(1889〜1922)を詠んでいる。啄木は智恵子について日記に「真直に立てる鹿ノ子百合なるべし」「あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!さわやかな声!」などと記している。
  • 「若々しく清らかで優しい智恵子は、啄木の心が求めた理想の女性だったのではないか」と語るのは国際啄木学会理事の山下多恵子さん。「わかれ来て年を重ねて/年ごとに恋しくなれる/君にしあるかな」など、智恵子を詠んだ歌からは親密な雰囲気が漂うが、2人が親しく会話したのはわずか2度だった。
  • その後は何回か手紙をやりとりするのみの関係だったが、啄木は東京時代にも智恵子との思い出をつづっている。山下さんは「啄木は上京後、不安と焦燥の中で死さえ思う日々、ひととき智恵子を思い浮かべることで、精神的なバランスを保っていたのだろう」と想像する。
  • 一方、1908(明治41)年に釧路で出会った小奴(17歳、料亭の芸妓)を詠んだ歌は「小奴といひし女の/やはらかき/耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり」など。深い関係をにおわせる。
  • ほかにも啄木は菅原芳子や、植木貞子、手紙に同封された偽の写真を見て「驚いた。仲々の美人だ!」と胸をときめかせたが、本当は男だった平山良子(本名・良太郎)もいた。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)
(2016-03-16 岩手日報

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