〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

〈居場所探し〉透谷・啄木・介山 『幻視の国家』書評


[ハタガヤ]


 図書新聞>書評コーナー 3165号
『幻視の国家 透谷・啄木・介山、それぞれの〈居場所探し〉』
  小寺正敏/著  萌書房

  政治と文学、国家認識の接点でくりひろげられた「居場所探し」
――安住の地を探し求めた近代日本の精神史に新しい光を当てる――
評者:三郷 豊(哲学研究)

  • 近代日本における個人の自我の確立は、国家形成と国民編制の問題を抜きには考えられない。では、そこで個人と国家の交渉はどのような経緯をたどったのだろうか。本書は北村透谷、石川啄木中里介山という三人の文学者たちを取り上げ、彼らの思想形成におけるアイデンティティと政治の関係を、政治思想史の文脈から解明した一書だ。
  • 評者の関心でいえば、透谷と介山を橋渡しする役割を担った啄木の「居場所探し」をめぐって論じた第四章「石川啄木ロマン主義的政治思想」および第五章「石川啄木における国家の「発見」」に読み応えを感じた。啄木が「居場所探し」の苦闘を展開したのは、日露戦争に勝利した日本が帝国主義列強に伍する「一等国」意識を持ち始め、国家の強権がせり出してくる明治末期のことである。よく知られるように啄木はその時代を「時代閉塞」として捉えたが、そこで彼は個人主義国家主義を架橋しようとしたと著者は述べる。
  • 国家に無条件に従属するのではなく、私的な世界に埋没するのでもないところに居場所を求めた啄木は、「理想を失い、方向を失い、出口を失った状態」を時代閉塞の現状と捉えた。国家を問題にしないかぎり、どこにも居場所はないことを彼は認識していたのである。そして、個人を従属させる国家の強権を批判しつつも、大逆事件でフレームアップされた無政府共産主義には与せず、国家を否定はせずに、国家を内側から突き動かすことによって時代閉塞を打ち破ることを啄木は考えたのだった。

(2014-06-28 図書新聞 3165号)
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