〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

とうかいのう、小島のう、磯のう、『津軽』太宰 治


[ハクモクレン]


《作品に登場する啄木》
  津軽
    太宰 治  岩波文庫 2004年
 
 三 外ヶ浜

 
「歌を一つやらかさうか。僕の歌は、君、聞いた事が無いだらう。めつたにやらないんだ。でも、今夜は一つ歌ひたい。ね、君、歌つてもいいたらう。」
「仕方がない。拝聴しよう。」私は覚悟をきめた。
いくう、山河あ、と、れいの牧水の旅の歌を、N君は眼をつぶつて低く吟じはじめた。想像してゐたほどは、ひどくない。黙つて聞いてゐると、身にしみるものがあつた。
「どう? へんかね。」
「いや、ちよつと、ほろりとした。」
「それぢや、もう一つ。」
こんどは、ひどかつた。彼も本州の北端の宿へ来て、気宇が広大になつたのか、仰天するほどのおそろしい蛮声を張り上げた。
とうかいのう、小島のう、磯のう、と、啄木の歌をはじめたのだが、その声の荒々しく大きい事、外の風の音も、彼の声のために打消されてしまつたほどであつた。
「ひどいなあ。」と言つたら、
「ひどいか。それぢや、やり直し。」大きく深呼吸を一つして、さらに蛮声を張り上げるのである。東海の磯の小島、と間違つて歌つたり、また、どういふわけか突如として、今もまた昔を書けば増鏡、なんて増鏡の歌が出たり、呻くが如く、喚くが如く、おらぶが如く、実にまづい事になつてしまつた。私は、奥のお婆さんに聞えなければいいが、とはらはらしてゐたのだが、果せる哉、襖がすつとあいて、お婆さんが出て来て、
「さ、歌コも出たやうだし、そろそろ、お休みになりせえ。」と言つて、お膳をさげ、さつさと蒲団をひいてしまつた。さすがに、N君の気宇広大の蛮声には、度胆を抜かれたものらしい。私はまだまだ、これから、大いに飲まうと思つてゐたのに、実に、馬鹿らしい事になつてしまつた。
「まづかつた。歌は、まづかつた。一つか二つでよせばよかつたのだ。あれぢやあ、誰だつておどろくよ。」と私は、ぶつぶつ不平を言ひながら、泣寝入りの形であつた。
翌る朝、私は寝床の中で、童女のいい歌声を聞いた。翌る日は風もをさまり、部屋には朝日がさし込んでゐて、童女が表の路で手毬歌を歌つてゐるのである。私は、頭をもたげて、耳をすました。
 せツせツせ
 夏もちかづく
 八十八夜
 野にも山にも
 新緑の
 風に藤波
 さわぐ時
私は、たまらない気持になつた。いまでも中央の人たちに蝦夷の土地と思ひ込まれて軽蔑されてゐる本州の北端で、このやうな美しい発音の爽やかな歌を聞かうとは思はなかつた。かの佐藤理学士の言説の如く、「人もし現代の奥州に就いて語らんと欲すれば、まづ文芸復興直前のイタリヤに於いて見受けられたあの鬱勃たる擡頭力を、この奥州の地に認めなければならぬ。文化に於いて、はたまた産業に於いて然り、かしこくも明治大帝の教育に関する大御心はまことに神速に奥州の津々浦々にまで浸透して、奥州人特有の聞きぐるしき鼻音の減退と標準語の進出とを促し、嘗ての原始的状態に沈淪した蒙昧な蛮族の居住地に教化の御光を与へ、而して、いまや見よ云々。」といふやうな、希望に満ちた曙光に似たものを、その可憐な童女の歌声に感じて、私はたまらない気持であつた。