〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木の交友録(43)「街もりおか」


[「啄木の交友録」コピーと12月号表紙]


月刊誌「街もりおか」
啄木の交友録【盛岡篇】執筆 森 義真 氏


43. 田子 一民  2012年12月号(No.540)


田子一民は明治14年、旧盛岡藩士の二男として生まれた。明治26年の父の死で一家は困窮し、盛岡高等小学校を退学。丁稚奉公もしたが、文学に繋がる仕事につきたいと九皐堂印刷所に住み込み文選工として働いた。九皐堂は盛中のちかくにあったため、かつての級友が通学する姿を見て羨ましくなった。受験資格のないことや授業料滞納の問題などを、盛岡市と高小の新渡戸仙岳校長の配慮により許された。すぐに入試を受け合格し、金田一京助らと同級になった。
盛岡中時代の啄木を、「多少気負っているようなところがあったが面白味のある人」「頭脳は明晰で負けず嫌い」「可愛い顔で、ナポレオンに似ていた」、などと評している。
東大卒業後、要職を歴任し、昭和3年衆議院議員選挙で最高点当選した。昭和27年に吉田内閣では農林大臣を務めた。