《関連イベントに参加しての私的レポート》
< パネル・ディスカッション > 「『悲しき玩具』をどう読むか」
コーディネーター:河野有時
パネリスト:木股知史・高淑玲・崔華月・飯村裕樹
[河野] 『悲しき玩具』が、このように注目されるのは非常に珍しい。これは不幸な運命をたどる歌集で、正面から論じられることはあまりない。この「(直筆ノート)悲しき玩具」にこめられたものは決して小さくはない。実物は184枚だが、これ(直筆ノート)は 60〜70枚である。病床で死に向かっていく歌人が184枚の厚さのノートに歌を書き連ねていたことを重く受けとらなければならない。
「高校生は如何にして『悲しき玩具』を読むか」 飯村裕樹
◎ 問題の所在
生徒(栃木県足利高校1年)の実態をアンケートにより調査した。
「好きな文学のジャンル」では、「小説 97.4%」、「短歌 0%」だった。
「短歌を積極的に勉強したいか」では、「どちらかと言えば思わない 50.0%」、「どちらかと言えば思う 39.5%」だった。
◎『悲しき玩具』をリライトすることによって読み深めていく
グループ毎に好きな歌を一首選び、その歌を現代語化するという授業実践を行った。
- 生徒の現代語化された短歌作品例
新しき明日が来ることを信じてる/自分の言葉に嘘がないけど
猫の耳を引っ張ってみて/にゃと啼けば/びっくりして喜ぶ子供の顔がある
◎ 授業後のアンケート
「短歌を積極的に勉強したいか」では、「どちらかと言えば思わない 50.0%(授業前)→ 25.7%(授業後)」に、「どちらかと言えば思う 39.5%(授業前)→ 60.0%」に変化した。
「石川啄木のイメージは変わったか」では、「変わった 62.9%」となり、啄木の他の歌にも興味を持つ生徒も多く、啄木短歌の素材の普遍性や面白さを再確認することができた。
◎ 考察
生徒の感想に「現代語に直すと意味が深まったりして面白い発想が出てきたりしておもしろかった」とあるように、生徒は啄木の短歌を自らに引きつけて主体的に短歌を読み深めていることが見て取れた。
◎ まとめ
『一握の砂』に比べて『悲しき玩具』は、高校生にとって読みづらいのではないかと考えていたが、概ね主体的かつ面白く読むことができた。「現代語化された短歌」を通してオリジナルの短歌の良さを認識することができ、さらに、現代語化するという過程を通して生徒は啄木の短歌を追体験していった。
啄木は、高校生や大学生に読まれていくのであろうかについては、大いにイエスではないかと考える。読み継がれていくためには、教師側が『悲しき玩具』を読む機会を提供することが必要である。(本校の教科書には掲載されていない)
(つづく)