〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木学級 文の京講座」<その1> 啄木行事レポート

<イベントに参加しての私的レポート>


[文の京講座 記念ボールペン]


<その1>

 -石川啄木没後百年記念事業-
啄木学級文の京(ふみのみやこ)講座
 ○東京 文京シビックホール 2012年7月5日
盛岡に生まれ育ち、文京区でその生涯を閉じた、両区市のゆかりの歌人石川啄木は没後100年を迎えた。啄木の功績を称え、ひとりの人間としての魅力に触れる本講座を通して、文京区・盛岡市のさらなる文化交流の活性化とパートナーシップの強化を図る。



第1部 郷土芸能披露/盛岡さんさ踊りと郷土の民謡・・・盛岡ミスさんさ踊り玉山区民謡保存会,文京区民謡協会
第2部 講演「明快なロマンチスト啄木」講師 作家・渡辺淳一
第3部 対談「愛され続ける啄木」国際啄木学会副会長 池田功氏×石川啄木記念館学芸員 山本玲子氏


挨拶
盛岡市
平成11年から始めた啄木学級は今年で14回目になり、平成19年からは終焉の地である文京区と共催している。没後100年ということで今年は大ホール開催になった。多くの方がお出でになったことに感謝する。
・文京区長
1000人を予定していたが、それを上回る希望者があり、1500人の会場に変更した。文京区にある「石川啄木終焉の地」は、以前、国家公務員宿舎となっていた。今年、国から打診があり高齢者のショートステイ施設をつくることになった。その一角に「啄木終焉の地」を示す歌碑を建て、啄木顕彰の発信をしていきたい。


第2部 講演「明快なロマンチスト啄木」講師 作家・渡辺淳一

  • 啄木歌集の中で好きな歌について

私の好きな歌を抜き出してプリントしてきた。みなさんも「ああ、これは気に入った」「そうだそうだ、わかる」という歌があったら印をつけ覚えてください。啄木はすばらしい歌人だった。

   いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ
人間への思いやりの欠片もない砂が落ちていく。もう少し留まって欲しいのに手から落ちてしまう。砂のやさしさと非情さが鮮やかに浮き出ている。

   アカシヤの街樾(なみき)にポプラに/秋の風/吹くがかなしと日記に残れり
歌の中に札幌の秋のいいところを全部入れている。札幌の、特に秋のようすをよくとらえて表現している。
   かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ
見事に当時の小樽を表している。大きな港で働く労働者ばっかりの荒っぽい様子。小樽の一面を的確にとらえている。


しかし、駄作もある。啄木は乱作で、一晩に50〜100首、詠んだこともある。

   とある日に/酒をのみたくてならぬごとく/今日われ切に金を欲りせり
歌に詠むほどの問題ではない。詩情の欠片もない。

   見よ、今日も、かの蒼空に/飛行機の高く飛べるを。
だからどうした。こんな歌を歌ってもしょうがない。当たり前のことだ。


啄木の歌は現実かどうかはわからない。嘘も歌っている。ホラを平気で吹いて人々を巻き込んでいる。しかし、啄木の歌は歌として独立し成立している。聞く人の胸に迫ってくる。


啄木の才能
「才」は頭の良さ、学校の成績がよい。「能」は一言でいうと、うまくやること。頭が良くてうまくやる能力を持っている人を才能のある人という。
「才」のある人は多い。「能」が曲者。「能」はナルシシズム。自己陶酔。自分に酔えるかどうか。ナルシシズムがはっきり見えるのは音楽の世界。自分に酔って歌っている。もう少し理性があり、冷静な世界は詩歌。客観性が必要なのは作家。完全に醒めているのは評論家。
20年前、私は啄木を小説に書こうと盛岡、函館、小樽、札幌、釧路をめぐった。結論として書けなかった。何故かというと、私が50代だったから。20代で死んだ若者の心の悩みは、単純で簡明すぎて書けなかった。
ナルシシズムが啄木の名を今日まで残している。ナルシシズムは啄木の才能の一つである。みなさんも一度自分の才能というものを考えてほしい。いい意味でのナルシシズムを持ち、多少の批判を超えてのめり込むものを持つことも大事である。

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・<ロビー>パネル展示

与謝野鉄幹湯川秀樹金田一京助榊莫山井上ひさし渡辺淳一森鴎外立原道造・ドナルドキーン・若山牧水らと啄木との関係