〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「石川啄木 愛と悲しみの歌」山梨県立文学館 <その 4 >啄木行事レポート

<啄木行事レポート>

「よく来たね。どうぞ」と、等身大の石川啄木が迎えてくれる。


◎ 暮らしの中の歌 ── 啄木が切り拓いたもの
三枝昂之 歌人
明治42年11月30日から七回にわたって啄木は東京毎日新聞に詩論を書いた。「食ふべき詩」である。
「食(くら)ふ」は「生活する」の意である。
どんな詩だろうか。啄木は言う。「両足を地面に喰つ付けてゐて歌ふ詩といふ事である…」ご馳走ではなく糠漬けの胡瓜のような詩、言葉を飾ることなく暮らしを歌う詩。一杯のビールがひとときの安らぎをもたらすように、折々を反映した詩が暮らしに小さく灯をともす。そうした普段着の詩が、「喰ふべき詩」である。
  こみ合へる電車の隅に/ちぢこまる/ゆふべゆふべの我のいとしさ
一日の労働をなんとか終え、縮こまりながら満員電車に揺られて帰る。今でも日々繰り返されている勤め人の哀感と自愛である。ここにあるのは、市井の働きびとの暮らしそのものである。それが『一握の砂』の、特に第一章「我を愛する歌」の主調音である。
最後に啄木の短歌観を端的に示した言葉を紹介しておこう。短歌百年における屈指の名言でもある。

「一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。たゞ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ。(略)歌といふ詩形を持つてるといふことは、我々日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ。」
 (「企画展図録」より)


文学館二階の窓からの景色は額縁入りの美しい絵。正面の建物は県立美術館。


◎ 啄木の一首
文芸の分野で活躍されている方々が、啄木短歌の好きな一首をあげて感想を添えたものを展示していた。直筆で書かれた文字が魅力的だった。