〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「石川啄木 愛と悲しみの歌」山梨県立文学館 <その 3 >啄木行事レポート

<啄木行事レポート>


緑の山の間を抜けて文学館に近づく。右の壁に企画展「石川啄木 愛と悲しみの歌」の巨大な垂れ幕が見える。

◎ 啄木散文の魅力
平岡敏夫 筑波大学名誉教授

啄木の小説も再評価されて来ているが、何と言っても啄木散文の魅力は、「時代閉塞の現状」(明治43年)に極まっている。閉塞の時代における鋭い閉塞感覚。これが他の論者と啄木とを区別するものだ。我々青年は、時代閉塞の中の自滅状態から脱出するために「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達している。
「それは我々の希望や乃至其他の理由によるのではない、実に必至である。我々は一斉に起つて先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ」
─この切迫感、緊張をはらんだ文体、全精神を明日の考察へと呼びかける啄木の文章は、現在にこそ生きていると言わねばならない。
 (「企画展図録」より)


明るく豪華な印象のロビー。左の階段を上って企画展。階段手前が閲覧室。右は、研修室。正面が売店。奥に講堂がある。

◎ 最高の時宜を得た企画 ── 啄木没後百年に思う ──
近藤典彦 国際啄木学会名誉会員

2008年に小林多喜二蟹工船」ブームが起こって、誰からともなく「つぎは啄木だ」と言われ始めた。ところがその後二年余、若い人たちは『一握の砂』や「時代閉塞の現状」を『蟹工船』のように読もうとはしなかった。
なぜだろう?

1990年代初めにバブル経済がはじけ、就職氷河期がはじまり、やがて非正規雇用労働者が1700万人にも達する時代になった。その上就職難が追い打ちををかける。…現代日本の青年たちには啄木は重すぎて読めないのかも知れない。こう思ってわたくしは2011年末を迎えた。
突如としてわたくしは日本の若い人たちに手応えを感じた。何が原因でかれらの心のあり方が変わったのか。答えは東日本大災害だった。
ふたたび日本の若い人たちが啄木を手にし、愛読する日は近いと思う。…今年は啄木没後百年、『悲しき玩具』刊行百年の年である。折から北海道の旭川市では啄木像・歌碑の除幕式があり(2012年4月13日)、釧路・札幌・函館でも建碑の運動が起こっている。東京都文京区では啄木終焉の地の石碑再建の運動が進む。

このたびの企画展「石川啄木 愛と悲しみの歌」は最高の時宜を得た企画となった。
 (「企画展図録」より)