〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「正直ね、ずっと啄木が憎らしいなと思っていた…」


[サクラの天井]


ふるさとの歌 啄木没後百年・2

  • 啄木は盛岡中学(現盛岡一高)3年だった1900年7月、修学旅行で三陸地方を訪れた。明治三陸津波の被害を受けた、高田松原や大船渡、釜石を歩いた。引率の冨田小一郎先生を囲んで撮った集合写真の一葉を、先生の孫、盛岡市在住の戸田洋子さん(74)は大事に持っている。
  • 「正直ね、ずっと啄木が憎らしいなと思っていたんですよ」。盛岡中の生徒らがストライキを起こし、祖父を含む多数の先生が更迭になった。ストを首謀したのは啄木だと聞いていた。祖父の苦労を思うと、啄木がどんなに評価されても目を向けることはなかった。
  • 20年ほど前、北海道旅行をした際、貸し切りバスの運転手が「岩手から来たのなら」と、釧路港を見渡せる公園に連れて行ってくれた。雄大な景色の中に、啄木の歌碑があった。〈しらしらと氷かがやき/千鳥なく/釧路の海の冬の月かな〉。碑の前に立つと、波がなぐように、すっと心が静まっていく。「憎さが薄れていく気がしたんです」。後日、ストの首謀者は啄木ではなかったと聞いた。

〈よく叱る師ありき/髯(ひげ)の似たるより山羊(やぎ)と名付けて/口真似(くちまね)もしき〉
(2012-04-11 朝日新聞>マイタウン>岩手)