〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「2011 盛岡大会」<その 10 > パネル・ディスカッション 3/4 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


[北上川畔の大木]


<その 10 >
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パネル・ディスカッション
  テーマ「新しき明日、新しき啄木」

コーディネーター=望月 善次 パネリスト=池田 功、西連寺 成子、田口 道昭、森 義真 指定討論者=太田 登、近藤 典彦(書面参加)


◎ 日本の「新しき明日」〜東日本大震災からの復興を視野に入れながら〜

《森 義真》

大震災に関連して宮澤賢治はニュースに取り上げられたが、残念なことに石川啄木はニュースにはならなかった。
三陸の啄木碑の状況(推測を含む)についてわかっている範囲で伝える。大船渡市三陸町吉浜の歌碑「潮かをる…」は大きく波をかぶった。しかし、土台がしっかりしていたので石垣が少し崩れただけで碑は残った。同じ吉浜の「嗚呼惨哉海嘯」は残った。宮古市鍬ヶ崎「啄木寄港の地」の碑は残ったが、鍬ヶ崎の町は瓦礫になってしまったところが多い。陸前高田市高田松原の碑「いのちなき砂のかなしさよ…」、気仙町「啄木遊泳の浜」、大船渡市大船渡町「啄木曾遊之地」などは被害に遭った。


[発言する森 義真 氏]

皆さんにお願いしたいこと。(1)現地を見ていただきたい。物見遊山でも野次馬でもいいから、とにかく沿岸部の惨状を見て、そこから自分に何ができるか考えていただきたい。できれば、現地で買い物をして経済が回るように支援していただきたい。(2)ボランティアがだんだん減ってきている。まだまだ仕事があるのでボランティアという方法も考えていただきたい。
若い世代が生き生きと仕事をして充実感を得る社会が「明日」であってほしい。復旧・復興には時間がかかるが必ず復興すると信じている。震災後の「人々の絆」が一過性のものではなく復興が成し遂げられたときに、日本の「新しき明日」が来る、と思う。


[啄木文字「もりおか」:盛岡駅外壁]


◎ 最終発言
《池田 功》啄木を読んでいると元気が出てくる。啄木はわかりやすいことばで人の心のなかにぐっと入ってくる。そこに魅力を感じ元気をもらい新しき明日をつくる力にしていきたい。
《西連寺 成子》新しい観点が出てきた。あらためて啄木研究の面白さ可能性に気づくよいきっかけをもらった。
《田口 道昭》嘘はなけれどーー」の、このダッシュの部分をもう少し読み込みできたらと思った。こういった悲しみを書かずにいられなかった啄木について議論したかった。
《森 義真》「呼子と口笛」とタイトルをつけた背景については、これまでだれも言及していない。私の新しいテーマができたかなと思う。「よびこ」・「よぶこ」の読み方があるが、「よぶこ」と読むのがスタンダードである(国際啄木学会会報創刊号にある)。


(パネル・ディスカッションつづく)