〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「2011 盛岡大会」<その 7 > 国際ミニ講演<II> ウニタ・サチダナンド 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


[会場・盛岡大学短期大学部 C 校舎]


<その 7 >
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国際ミニ講演<II>
  ウニタ・サチダナンド(デリー大学准教授、インド啄木学会会長)


「『あこがれの会』(インド啄木学会)の活動状況 〜東日本大震災復興支援企画にも触れて〜」

  • 東日本大震災が襲った東北に、私はひとりでもいいから応援に来たいと思った。今回、啄木の故郷盛岡で大会があり、啄木に招かれてインドから来たことを本当に嬉しく思う。
  • 日本は3月に学校が終わり、銀行も3月に年度末があり、みんな4月から始まる。インドは7月に大学が始まり、銀行は4月に始まり、とバラバラ。一人一人の人間も、ことばもバラバラで苦労している。
  • 私は以前、日本の短編小説の翻訳をやっていた。インドの日本文化への関心はほんの最近生まれてきた。文学に関してはこのことが特にはっきり言える。この10年ほどの間に、日本の小説を中心とした日本文学の代表的作家の作品が日本語から直接インドのことばに翻訳された。それより前は英語から翻訳していた。やはり英語からの翻訳は不十分なものであった。
  • 2005年、望月善次先生に会い「啄木の詩はとても簡単ですよ」と言われた。そこで「あこがれの会」(インド啄木学会)をつくった。会をつくった理由は、インドの文学者は日本文学にあこがれていたこと、啄木の最初の詩集は『あこがれ』(1905年)であり、2005年は『あこがれ』発行100年だった。この会で私は詩に親しみをもち、詩から離れることはできなくなった。


[講演するウニタ・サチダナンド氏]

  • 「あこがれの会」では、いろいろなワークショップをした。2005年に石川啄木の詩をヒンディー語に訳して朗読した。それがインドの詩人が自ら啄木の詩をヒンディー語にした最初のことだった。それからたくさんのワークショップをしてきた。
  • 2008年にインドで国際啄木学会が開かれた。日本の研究者とインドの研究者や学生、詩人たちも参加した。
  • 2010年9月、インドと日本の心を詩歌で伝えようとインド・日本詩を翻訳するワークショップが行われた。この大会からウニタサチダナンド・望月善次 共著『石川啄木の短歌:インドの色』(翻訳)という本が出た。
  • 2011年3月11日、日本の津波地震の衝撃で世界は悲しみに沈んだ。インドの詩人達は「詩をつくって日本に伝えよう」ということで本を出版し、売り上げの中から募金した。インドの詩人たちも日本の復興を応援していることを皆さんに伝えたい。


(パネル・ディスカッションにつづく)