啄木紀行 「一握の砂」百年 朝日新聞連載
6)愛児見送った了源寺
「かなしくも 夜明くるまでは残りゐぬ 息きれし児の肌のぬくもり」
- 1910(明治43)年、石川啄木に待望の長男・真一が生まれた。しかし、病弱だった真一は「一握の砂」発刊直前に亡くなってしまう。わずか24日間の命だった。啄木は急きょ、一握の砂の歌集の最後に、哀悼歌8首を加えて愛児の死を悼んだ。締めくくりに載せられたのがこの歌だ。
- 真一の葬儀はその頃に間借りしていた理髪店「喜之床」の新井家の菩提寺である、浅草の了源寺でいとなまれた。
- 了源寺で、啄木の息子の葬式が行われたことは啄木ファンの中でもあまり知られていない。森下慎一住職は「啄木ファンが来ることは、なかなかない。ファンのホームページにうちが載っていて驚いたことはあるけど」と話す。
(2010-12-20 朝日新聞>マイタウン>岩手)「了源寺」啄木文学散歩