[サザンカ]
啄木紀行「一握の砂」百年 朝日新聞連載
1)石割桜を守り続ける思い
「にしかぜに
内丸大路の桜の葉
かさこそ散るを踏みてあそびき」
- 1910(明治43)年、24歳の啄木は東京朝日新聞の歌壇選者となっていた。
- 日韓併合、大逆事件などが相次ぎ、社会が閉塞していた時代に、よりどころとしたのが、ふるさとの風景。青春時代の記憶から、この歌は生まれた。
- 啄木が見上げた「石割桜」は、今も盛岡市内丸の盛岡地裁の敷地内でそびえ立つ。
(2010-12-14 朝日新聞>マイタウン>岩手)
2)朝日新聞の校閲係
「京橋の滝山町の
新聞社
灯ともる頃のいそがしさかな」
- 東京都中央区築地の朝日新聞東京本社5階。せわしない編集フロアの中で、静けさが際だつのが校閲センターだ。記事の間違いを直す「校閲記者」たち。石川啄木もかつてその1人だった。
- 当時は「校正係」と呼ばれていた。啄木は、筆を使ってゆっくりと記事をみる他の記者とは違い、赤インクのペンを使って素早く仕事をこなしていた、と伝えられている。
(2010-12-15 朝日新聞>マイタウン>岩手)