〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

望月善次〈『あこがれ』石川啄木〉23

[ヘクソカズラ]


〈音読・現代語訳「あこがれ」石川啄木〉23 望月善次
山彦


山彦、それは、私の歌の余韻かと思っていたのですが、この5月の森の中で聞くと、私の歌の方が、山彦の余韻かとも思われるのです。
 
花草(はなぐさ)啣(ふく)みて五月(さつき)の杜(もり)の木蔭(こかげ)
囀(てん)ずる小鳥(ことり)に和(あは)せて歌(うた)ひ居(お)れば、
伴奏(ともない)仄(ほの)かに、夕野(ゆうや)の陽炎(かげろうふ)なし、
『夢(ゆめ)なる谷(たに)』より山彦(やまびこ)ただよひ来(く)る。―
春日(はるび)の小車(をぐるま)沈(しづ)める轍(わだち)の音(ね)か、
はた彼(か)の幼時(えうじ)の追憶(おもひで)声(こえ)と添(そ)ふか。―
               〔甲辰(きのえたつ)二月十七日〕
 
  山彦〔現代語訳〕
 
花や草を、口にくわえ、五月の森の木蔭で
しきりに鳴く小鳥に合わせて、(私が)歌っていると、
伴奏のように仄かに、(夕べの野は陽炎をなし)、
まるで『夢のような谷』から、山彦が漂って来るのです。―
(ああこれは)小車にも喩えられる春の日が、沈んで行く轍の音なのでしょうか、
或いは、あの幼い時の思い出が声となって近づいて来たのでしょうか。―

               (明治三十七年二月十七日)
(2010-09-30 盛岡タイムス)