〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

東京都千代田区「昭和館」ニュース映像

啄木文学散歩・もくじ


東京都千代田区 昭和館


「啄木のふるさと」(1961年)というニュース映像を千代田区九段の「昭和館」で見つけた。

 

「九段下交番の後ろにそびえる昭和館
  

 「昭和館」は千代田区九段にあり、戦中・戦後(昭和10年〜30年頃)の生活についての資料を収集展示している。
 1階 ニュースシアター、資料コーナー
 2階 イベント広場
 3階 研修室
 4階 図書室
 5階 映像・音響室
 6・7階 常設展示室





昭和館の入口」

生徒の見学ツアーも多い。


◎「啄木のふるさと」---映像・音響室
5階の映像音響室は、当時のニュース映画や記録映像、写真やレコードなど収集した資料を自由に見ることができる。検索システムで「石川啄木」を入れたところ、1961年のニュース映像があった。


希望訪問 毎日ニュース(映像)

「啄木のふるさと」1961年(昭和36)4月19日
  かにかくに渋民村は恋しかり
  おもひでの山
  おもひでの川


《ナレーション (概要)》
4月13日、天才詩人・石川啄木の50回忌大法要がふるさと岩手県渋民村の宝徳寺で行われた。代用教員になった学校、その時、啄木が使用した机や履歴書。現存する啄木の家と書斎。
ここ「平田野(へだの)」は啄木が生徒とストライキを行ったところ。
春まだ浅く月若き
生命の森の夜の香に
あくがれ出でて我が魂の
夢むともなく夢むれば
啄木が作詞した校歌はいまも小学生に受け継がれている。このストライキでふるさとを追われた啄木は節子夫人と北海道函館に渡った。そして再びふるさとに戻ることなく東京小石川で27歳の生涯を閉じた。
遠くふるさとを思いながら死の床についた啄木、貧しさと闘いながら詩を書き続けた啄木。その夜、渋民村では啄木が夜通しで踊り興じたという盆踊りの歌声がいつまでも岩手山にこだましていた。


  ある年の盆の祭に
  衣貸さむ踊れと言ひし
  女を思ふ

《ナレーションに応じた映像》
村のようす・渋民小の子どもたち・自衛隊の演習・盆踊り・節子夫人の写真額の除幕・函館の啄木一族の墓前での法要 など。
 





      
「体験広場」

戦中戦後の生活道具や衣服の展示。
手に取ったり試着したりもできる。 


SPレコード「春まだ浅く」・「やはらかに柳青める」
 SPレコードをデータベース化していて、当時の流行歌・童謡などを検索して試聴できる。


・「春まだ浅く」日活映画「情熱の詩人啄木」挿入歌 作詞 石川啄木 作曲 古賀政男 歌 有島通男
・「やはらかに柳青める」作詞 石川啄木 作曲 越谷達之助 歌 三浦環
・「啄木の歌」歌 楠木繁夫 帝国蓄音器株式会社
 





「お堀に映る昭和館

右の緑屋根の建物は現在の「九段会館」。
二・二六事件のときに戒厳司令部が置かれた。  



 東京都千代田区九段南1-6-1
 TEL.03-3222-2577
 [地下鉄東西線新宿線半蔵門線九段下駅下車〉、JR飯田橋駅 徒歩約10分]