〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

To記 Do記 「本家 啄木の息」より <6>

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To記 Do記 「本家 啄木の息」より <6>

 

2003-12-20

 本「火の路」を読みました。

 日本とイランにある謎の石造物から、飛鳥と古代ペルシャのつながりを解き明かしていく。
 ペルシアの宗教は
火を聖なるものとするゾロアスター教である。イランに取材に行った松本清張は、岩山の上に築かれた2つの「沈黙の塔」を見て「まさに大和の二上山」と直感したそうだ。

 つい先日、わたしは奈良・明日香村を訪れ、この本が書かれてから30年後の飛鳥を巡った。

 飛鳥の西、小高い丘の上にある『酒船石』が重要な石造物として登場し「用途は酒や油を絞るいれものとか、辰砂から朱をとる道具」とか、いろいろ推論している。しかし、3年前の2000年、『亀形石造物』発見でこの『酒船石』の使用法の推理も変わった。30年間は半端じゃない時間なのだ。

 松本清張全集(文藝春秋)月報5に著者が『---火の路の思い出』として以下のことを書いている。
 「取材でイランへ行くことにしたが学芸部の人が『忙しい』とだれもつけてくれない」「旅費をもらって一人で回ることにした」「わたしは人から冷たくされるのは馴れている。それだけに、またファイトも湧こうというものである」

 若い時の著者かと思ったが、清張このとき64 歳。「木賃宿の如きホテル」に泊まって、ハードな取材をしている。
 その熱情が行間から溢れてくるようだ。

  「火の路」松本清張 文藝春秋 1983
       
(1973年 朝日新聞連載「火の回路」改題)

 


              2003-11-28

 

映画「死ぬまでにしたい10のこと」を見ました。

 幼い2人の娘がいる23歳の女性アン。求職中の夫と狭いトレーラーで暮らしている。彼女は大学の清掃係として働いていたが、ある日、突然腹痛に襲われ「余命2か月」と宣告される。
 アンは、夜更けのカフェで「死ぬまでにしたい10のこと」のリスト作りを始める。

 一人語りのシーンで、字幕は「私」と出てくるがよく聞いてみると“I”ではなく“you”「あなた」と言っている。ここで、原題の「My Life Without Me」の意味をぼんやりと考えた。

 「彼女がしたい10のこと」は置いておいて、やっぱり「自分がしたい10のこと」でしょう。
 残された時間を区切られたら、したいことは何だろう?

 リストアップしたそれらを毎日毎時追求する、その向こうに死があるのか、生があるのか。
 そうか!「Life」があるのかも。

死ぬまでにしたい10のこと」 My Life Without Me

   監督 イザベル・コヘット
   出演 
サラ・ポーリー マーク・ラファロ スコット・スピードマン
   
スペイン/カナダ 2002

 


              

 

2003-11-14

 映画「2ペンスの希望」を見ました。

 イタリアの田舎。職もなく金も無く、盗ったり盗られたり騙したり、食べるために必死の村人たち。

 主人公は軍を除隊したばかりのアントニオと、彼に恋するカルメラ。狭い村内では、何でも噂の種になる。アントニオは、母とたくさんの姉妹を養うために一生懸命職探しをするのだが・・。

 登場する年寄りが個性的。アントニオの母親、カルメラの父親、司祭など。彼らと『親しくつき合え』と言われたらイヤだ。しかし、見てる分にはバイタリティー溢れる生き方にドーンと背中を押される。特に教会でアントニオに鐘撞きの仕事を教える男は、ステキだ。

 ミュージカル映画かと思うほどたくさんの歌が流れる。聞いているうちにこの村の風景にどっぷり浸かっていく。

「2ペンスの希望」  Due Soldi Di Speranza

   監督 レナート・カステラ
   出演 ヴィンセンツォ・ムゾリーニーニ マリア・フィオーレ
   イタリア 1951

 


              

 

2003-10-06

 本「京都 虫の目あるき」を読みました。

 -- 人の目でもなく鳥の目でもなく 虫の目とほんの少しの好奇心で歩いてみたら --

 「もくじ」の項目一つ一つに付いている小さなイラストがウエーブし、辿っていくとそのまま中身に突入します。

 お気に入りは「比叡山と麦畑」の回。
 印象派の画家たち、マネ、モネ、ルノアールピサロドガセザンヌゴッホ、スーラ。『南仏を訪れたゴッホは、光あふれる光景に「まるで日本のようだ」と思ったとか。

 画家達の作品と庭園美術館の現風景との重なり合い。小さい小さい額絵の中に広がる名画の世界。

 これをわたしに薦めてくれた人の言葉。
 「いい漫画を描く人だから、この本が売れたほうがいい」

 「京都 虫の目あるき」おがわさとし とびら社 2003

               


2003-09-19

 

 本「ミラノの風とシニョリーナ」を読みました。

 「イタリア人は、みんなパープリンさ」スペインで聞いた日本人の言葉をきっかけに、ミラノ工科大学へ留学した著者。

 本文も楽しかったのですが、一番は「文庫版あとがき」です。

 著者が二十代半ばに書いたものを読み返し「若い頃の自分の浅薄さがよくわかる」と記しています。
 また「15年経った今、再びイタリアに滞在し、あの頃に見えなかったものを眺め」ています。「陽気で自由に見えたイタリア人が実際には人づきあいの規則やマナーに縛られて生きている」ことなど。

 さらにこうも言います。
“その人の心が自由であれば”“社会の規範をはねかえすだけの精神的強さがあれば”「自由の風はどこにでも吹いている」

 『そうだ、そうなのだ』と強くうなずきながら読みました。

 「ミラノの風とシニョリーナ」坂東 真砂子 中央公論社(文庫) 1997

              


 

2003-08-14

 映画「失われた週末」を見ました。

 アル中の貧乏作家がヒーロー。兄から借りたお金も酒に使い込み、仕事に必要なタイプライターまで売ろうとする。

 兄たちに見つからないように、酒瓶を隠す。見つけられる。探す。また、隠す。

 酒への誘惑を、音楽がピッタリと寄り添いなぞる。

 それでも養い続ける兄と、彼を見捨てない恋人。そうすることが彼のアル中からの立ち直りを遅らせているのでは・・ふと考えた。

 映画の大部分は、ニューヨークでロケし、しかも通行人に悟られないようにカメラをトラックに隠して行った部分もあるという。1945年につくられた映画だからなおさら、スゴイ。

 やらねばならぬ事をやらず欲望に負けるとき、わたしはその理由を100も200も思いついてしまう。マッタク、モウ。

「失われた週末」The Lost Weekend

   監督 ビリー・ワイルダー
   出演 レイ・ミランド ジェーン・ワイマン フィリップ・テリー 
   アメリカ 1945年

              


 

2003-07-15

 映画「スパイ・ゾルゲ」を見ました。

 ・・歴史の勉強を始めましょう。
 日独防共協定、第二次上海事変ノモンハン事件、御前会議、真珠湾攻撃、さらにはベルリンの壁崩壊。歴史の一つひとつが目の前で展開しているような錯覚をおぼえます。

 昭和の初め日本に滞在し、機密情報をモスクワへ送っていたスパイ・ゾルゲ。彼からの極秘情報によりソビエト政府は「スターリングラードの戦い」でドイツ軍を壊滅状態にしました。

 ゾルゲを助けた日本人尾崎は、一高から帝大へ進み朝日新聞に入社しました。おそらく石川啄木も勤務した東京朝日新聞社の社屋や内部がしばしば登場します。
 デジタルハイビジョン撮影の上に最新のCGを使っているので、建物や街並みを見るのはセットの場合よりも楽しみかもしれません。

スパイ・ゾルゲ」 Spy Sorge

   監督  篠田正浩
   出演  イアン・グレン 本木雅弘 椎名桔平 上川隆也 永澤俊矢
   2003年 日本 

              

 


 

2003-07-01

 パリに行きました。

  おしゃれなところもあるけれど、生活の匂いのする気取らないパリが好きです。

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シャルルドゴール空港
「ターミナル1」は巨大な円形
  

 

  • 空港で爆発音が・・
・シャルルドゴール空港に着くとちょっと足止めされました。しばらくしたら壁の向こうで「ババッ、バッバーン!」爆発音がして床や壁が揺らぎました。
  
・あとで聞いたところによると持ち主不明の荷物は不審物と見なし、小火薬で爆破するのだそうです。
  • フランス語
・「Oui Oui ウィ ウィ ウィ」「Non Non ノン ノン ノン」かかりにくいエンジンのような言葉が、早口で繰り返されるのを聞くと「あ、フランス語」「そうだ、パリに着いたのだ」と、改めて思いました。
 
・メトロの車内アナウンスは、はっきりと駅名だけを二回言います。「次は○○です。お降りの方は~。」等々いっさいありませんでした。
  
・たまたまかもしれませんが、わたしの乗ったRER(郊外高速鉄道)では、車内放送はなかったので緊張してホームの駅名を読みました。
  
・RERには乗り越し精算のシステムがないので、始めから「行き先まで切符を買う」か、「乗り越す駅でいったん降りて切符を買い足す」か。もしも切符にない駅まで乗ってしまうと、不正乗車ということで罰金を払うのだとか。(郊外では無人駅も多かったので、そんなに厳格でもないのでしょうが・・・)
  
・突然、車内に哀愁を帯びた音楽が聞こえアコーディオン弾きの人が登場しました。しばらく曲を奏でると空き缶を持って回っていました。

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新しく出来た「ビブリオテーク・フランソワ・ミッテラン駅」構内
照明が美しい
  

 

  • ゴッホの街「オーベール・シュル・オワーズ」へ
      
・「今日は、ストライキはやっていませんか」と尋ねてから切符を買いました。フランスではストはよくありますから。
  
・オーベール・シュル・オワーズへの行き方は、(わたしの場合)メトロ14号線を乗り換えてパリ北駅からRER(高速鉄道)に乗り、ポントワーズでクレイユ行きに乗り換え、オーベール・シュル・オワーズ下車です。駅員が教えてくれた駅名や乗り換え方法は大間違いで、修正しながら行きました。
  
ゴッホは弟テオへの手紙に「オーヴェールは凄く美しい。古い藁葺き屋根の家がとりわけ美しい」と書いています。
 

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ゴッホ「オーヴェールの教会」
ゴッホはこれを描いた1890年、この教会裏の麦畑でピストル自殺している
  
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《 啄木とゴッホ 》
  • 啄木とゴッホには熱烈な支援者がいましたが、本人は・・
ゴッホの弟テオは「彼(ゴッホ)をいつでも援助し続けているのはまずいことではなかろうか」「彼に自力でやってもらおうか」と何度も思い迷います。しかし「彼は芸術家だ」「やがて、彼の作品はおそらく崇高なものとなる」「もし、彼にまともな勉強ができないようなことをしたら、それは恥ずべき仕打ちだということになるだろう」と新婚の苦しい中も、子どもが産まれても援助し続けました。
 
・ところが、ゴッホ本人は食事をいい加減にしかとらず、空腹感を喫煙と飲酒で紛らわせました。
 
・「若く健康な男子には必要なのだ」と、弟の送金を女郎買いにつぎ込み、性病にかかりました。また自らの耳を切り落とし、それを売春宿の女に贈り物だと届けたりもしました。
 
石川啄木における金田一京助や、宮崎郁雨などの支援者の存在。北海道時代の花柳界出入りや、浅草での花街遊びと重なってきます。
  
  • 残された家計簿
・テオとその妻ヨーが、1889年5月から1903年4月までの、彼らの収支を記録したものが残されています。日付、収入、支出に関する簡単な記述とそれに対応する金額。他にテオ、ヨー、そして彼らの息子の日常生活の詳細も書き込まれています。さらにゴッホへの仕送り、絵具や画材、カンヴァスの購入などが記載されていて、その間のゴッホの生活ぶりが浮かんできます。清書したようにきれいに書かれています。
 
ゴッホは、自分の絵が注目され始めた今、死ねば絵の値段は上がると考えました。テオの支援と献身に報いるため、弟夫妻と甥に対して遺産になるように、絵を一日一枚ずつ死ぬまで描き続けました。
 
・啄木は、1911年に経済的支援者でもあった宮崎郁雨と義絶しました。この義絶が、啄木にとって、種々の面でいかに決定的なものであったかは、経済的には節子が、9月14日からつけ始めた「金銭出納簿」に見ることが出来ます。文学的にも打撃を受け、以後の啄木にこれといった作品が提出されませんでした。
  
  •  生きているうちには
ゴッホの絵は生涯たった1枚だけしか売れなかったということです。
  
・啄木も、1905年 処女詩集『あこがれ』発行。 1910年 処女歌集『一握の砂』発行に終わります。
  
ゴッホが亡くなって113年、啄木が亡くなって91年、ますます価値の認められている二人ですが、生きている間は悲しいことが多かったようです。
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・1890年7月27日午後、ゴッホはオーベール城裏手の麦畑付近で拳銃自殺を図りました。現場の目撃者はなく、拳銃の入手先、自殺の場所なども決め手はありません。動機もはっきりとはしていません。
 
・宿屋ラブー亭の屋根裏部屋にもどって、29日午前1時半、弟テオらに見守られ絶命。37歳。
  
・弾は摘出されませんでした。
 
・テオは半年後の1891年1月、精神病院で死去。33歳。
 
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・麦畑の中にはポピーの赤い花が点々と散り咲いていました。麦畑の中の共同墓地に、ゴッホとその弟テオの墓がひっそりと壁際に並んでいました。ツタの下には古い一発の銃弾が今も残っているはずだそうです。
   
・どこでもそうでしたが、子どもたちの見学集団をたくさん見かけました。寝そべったり、水を飲んだり、勝手に動いているようですが、私語が全くありません。専門の人の説明をしっかり聞いていました。
   
ゴッホ公園の木陰のベンチに座り、ザトキンのゴッホ像を見ながら、目の前の店で買ったばかりのサンドイッチを食べました。
  
  • フランスはスト・スト・スト
バカロレア(大学入学資格試験)の時期ですが公務員の年金問題でストをやっている地域もありました。そこの生徒はほぼ夏休み状態で、親がそのストに反対の集会を開いたりしていました。
  
・南部ではゴミ収集がストのため行われず、溢れかえった生ゴミに香水を振りかけて回っているという話も聞きました。

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こんな近くで模写している。右側にあるカードは許可証。
       
  • 美術館では
・気に入りの絵の前で、キャンバスを立て模写している人がたくさんいます。元の絵と比べると、描く人の考え方や見方の違いが見えて「ホホーッ!」と一歩寄ってみたりしました。油絵の具でガンガン描いています。
   
・日本ではボールペンも使ってはいけない美術館が多いのに、数億円とかもっと高い美術品にものすごく近寄って描いていました。
  
  • 街を歩いて
・スーパーで買ったミネラルウオーター1.5リットルが 0.2ユーロ(30円弱)。それが、観光地になると350ミリリットルで2ユーロ(280円)にもなります。
  
マロニエのとげとげのある丸い実が、たくさんぶら下がっている並木を歩きました。日向は30度を超える熱さでも日陰はスッと涼しくなります。
   
・日本に着いて息を吸ったら、湿度の高さにビックリしました。