To記 Do記 「本家 啄木の息」より <3>
2002-03-18
本「啄木の肖像」を読みました。
本の表紙は、HP「啄木の息」のトップの肖像画と同じです。
この肖像画を初めて見たのは、「横浜啄木の集い」(2001年4月)に参加したときです。会場になった大桟橋国際客船ターミナル4Fの部屋に張ってありました。それまで見たことのない写真でした。会が終わってから主催なさった佐藤勝さんに尋ねましたら、「これは肖像画です。」とおっしゃいました。そして、会場に張ってあった数枚の中の一枚を分けてくださいました。
あまりにいい顔なので、自分の部屋に張り、ちょっと悲しそうな、下唇に不満のあるような若き啄木を毎日眺めていました。
それから、佐藤さんに「HPに使わせてください。」と手紙でお願いしました。この肖像画が出来上がるまでのことを何も知らなかった私に、佐藤さんは快く許可をくださり、トップを飾ることになりました。
さっそく、反響がありました。
「このページの学生服を着た啄木、初めてみました。写真じゃなくて肖像画なんですね、ビックリです。だいたいは和服を着ていると思うのですが、これだとまるで私らの年代の同級生という感じで親しみが持てます。顔も額から目のあたりが私の亡くなった兄に似ていて2度ビックリしました。」と盛岡一高の啄木の後輩に当たる方から、メールを頂きました。
肖像画のことは、本の第一章 啄木随想「啄木の肖像画」のところで詳しく語られています。佐藤さんのお母さんは47歳で亡くなられ、写真は一枚しか残っていませんでした。十三回忌のとき、肖像画屋を探してお願いし、できあがった画は、胸の熱くなるような出来上がりだったそうです。
法事に集まった「誰からも良く描かれていると賞賛されたためと、そこに描かれた母の肖像と、私が十年間、心の中で抱き続けて来た母の面影とが、一致するせいでもあった。」と始まり、職場の後輩のお父さんが肖像画屋をしていて、その方に啄木の肖像を頼んだいきさつが書かれてあります。
この一枚の絵の向こうにある話に、横浜の一日を思い出しました。私は、あの「集い」で初めて知ったのですが、横浜は啄木の三度目の上京の際、(1908年(明治41年)4月24日午後9時函館にて、横浜行き郵船三河丸に乗る。4月27日午後6時、横浜港に着く。)上陸地点となった場所です。
佐藤さんとお知り合いになれたのは、もちろん啄木の仲介です。私は、単なる啄木の一ファンで、正真正銘のシロウトで、ある日突然HPをアップロードしてしまいました。そんなあやしいページにも本当の啄木を研究していらっしゃる方が、声を掛けてくださいます。
生き方そのものが啄木と繋がっている佐藤さんの本には、啄木が贈ってくれたプレゼントがギッシリ詰まっています。読み進めていくとそのプレゼントの一つを分けてもらったような気がしてきます。
「啄木の肖像」佐藤 勝 武蔵野書房 2002年
2002-02-12
映画「オーシャンズ11」を見ました。
なにしろ、ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、アンディ・ガルシア、マット・デイモン、ジュリア・ロバーツと、登場してくる顔を見ているだけでも楽しい。そう、とても楽しい映画です。「あれがこうなって…これがああなって…」という難しいことはナシ。「ホーッ!」「エーッ!」とビックリマークだけで語れます。
どこにも仕掛けてある監視カメラ、12時間ごとに変わる暗証番号、(小さいころから数字が覚えられないわたしには、無理。ナニガ?!)張りめぐらされた感知センサー。それらを潜り抜け、地下200フィートの金庫に保管されるラスベガスの売上金1億6000万ドルを盗み出すというのです。
勧善懲悪の世界とは全く反対にあるのに、なんだか盗む側が正しいのでは・・と思えてきます。
1960年『オーシャンと十一人の仲間』フランク・シナトラ主演のリメイク版です。こちらも見たいものです。
「オーシャンズ11」
- 監督 スティーブン・ソダーバーグ
出演 ジョージ・クルーニー マット・デイモン アンディ・ガルシア ブラッド・ピット ジュリア・ロバーツ ケイシー・アフレック スコット・カーン ドン・チードル
2001年 アメリカ
2002-01-30
BOOK-2001年-勝手にベスト6+α(順不同)
◎蒲生邸事件
受験生が試験を控えて泊まったホテルの壁に、セピア色の二枚の写真を発見する。一枚には「旧蒲生邸 」。肖像写真には「陸軍大将 蒲生憲之」とあり「現在の当ホテルの建っている場所は蒲生憲之氏の屋敷のあったところです」ともあった。蒲生憲之はその場所で、昭和11年、二・二六事件勃発当日に自決している。物語りは、この受験生が火災に巻き込まれ・・・・。
◎テロリストのパラソル
アル中のバーテン島村は、過去を隠し20年以上もひっそりと暮らしてきた。今日も酒を飲みながらベンチに座っていた。新宿中央公園、いつもの時間、いつもの風景。突然の爆弾事件に遭う。その後、やくざが彼につきまとい始め・・・・。
- 著者 スティーヴン・キング/白石朗訳
出版社 新潮社
発刊 1997
少女殺しの犯人とされた死刑囚ジョン・コーフィには、奇跡を起こす不思議な力がある。ドラクロアの鼠を生き返らせた。そして看守仲間は、脳腫瘍で死に瀕している刑務所長の妻を、コーフィに治療させるという計画を実行に・・・・。
◎動物たちの不思議な事件簿
- 著者 ユージン・リンデン/羽田節子訳
出版社 紀伊国屋 書店
発刊 2001
科学ジャーナリストである著者が、動物たちと強い絆を持つ人々に取材して得た出来事の数々を紹介する。飼い主が心配ごとを抱えて帰宅すると「大丈夫?」と声をかけるオウム、溺れた子供を助けるブタ、手話をするオランウータン、漁師と協力して魚を獲るイルカ、贈り物をする猫・・・・。
◎山の郵便配達
- 著者 彭 見明 / 大木 康 訳
出版社 集英社
発刊 2001
愛犬をお供に、山を越え、川を渡る。数日がかりで重い郵便袋を背に村から村へと手紙を届けてきた老郵便配達。彼も年を取り、仕事を引き継ぐために初めて息子と最後の旅に出る。長い間、郵便物だけではなく、村の人々のたくさんの物や形にならない事柄を運んできたことがしみじみと語られ・・・・。
◎鳥人計画
- 著者 東野 圭吾
出版社 新潮社
発刊 1994
日本ジャンプ界期待のホープが殺された。犯人はすぐに判明したが、彼がどうして殺人をしたかに迫っていく。単純に見えた殺人事件の背後に隠された驚くべき「計画」―踏切のタイミング、空中姿勢、風圧、筋力、あらゆる要素を極限まであの男に・・・・。
●+α 石川啄木事典
- 著者 国際啄木学会編
出版社 おうふう
発刊 2001
作品、項目、資料篇の3部からなる。ユニークなのは項目篇で、一般的な項目やキーワードに加えて、「イメー ジ項目」を立てた点。石川啄木の作品に見られる「鏡」「酒」「雲」などのイメージ表現が、彼の精神をどう表し、どれほどの独自性や同時代性を持つかを探ろうとしている。
「・・・・故郷と関係した匂いとしては、とりわけ焼いた食べ物のイメージが連想されたようである。札幌を詠んだ中に「玉蜀黍の焼くるにほひ」があり、又、『一握の砂』以外では「蜜柑の皮の焼くるがごときにほひ」という表現があり、匂いの中では焼いて香ばしいものが一番好ましかったようである。」(「匂い」の項より)
2002-01-19
CINEMA-2001年-勝手にベスト5(順不同)
◎ケス Kes
- 監督 ケン・ローチ
出演 デビッド・ブラッドレー コリン・ウェランド リン・ペリー
1969/イギリス
イギリス、ヨークシャー地方の炭坑町。15才の少年ビリーは離婚して働いている母親と横暴な兄と一緒に 暮らしていた。家族からも、学校の友だちからも孤立していたビリーだったが、ある日タカの巣を見つけ、 雛を育てて訓練する。「ケス」と名付けた雛は成長し、大空を力強く舞うようになったが・・・・。
◎エイミー Amy
- 監督 ナディア・タス
出演 レイチェル・グリフィス アラーナ・ディ・ローマ
1997/オーストラリア
エイミーは八歳にして最愛の父親を失い、そのショックから音を聴くことと人とおしゃべりすることができなくなってしまった。そんな彼女の心をいやしたのは隣に住む売れないミュージシャンの歌だった。心のこもった温かい歌。それはエイミーの心を震わせ、生きる勇気を与える・・・・。
◎独立少年合唱団
父を亡くして、全寮制の中学に転向した道夫。ボーイソプラノの声を持つクラスメイト、康夫に誘われて合唱団に入った彼は、だんだん歌うことの素晴らしさにのめり込んでいく。そして、ついに・・・・。
◎ビヨンド・サイレンス JENSEITS DER STILLE
- 監督 カロリーヌ・リンク
出演 シルビー・テステュー タティアーナ・トゥリープ ハウィー・シーゴ
1996/ドイツ
ララの両親はろうのため、彼女は手話を完璧に覚え、彼らの通訳を務めていた。そんなララの憧れは、クラリネットの演奏の上手な叔母さんだった。ララはクラリネット練習を始め、驚くほどの上達ぶりを見せた。18歳になり、クラリネット奏者を目指す彼女は、父の猛反対を押し切り、音楽学校受験・・・・。
◎明日を夢見て L'uomo Delle Stelle
- 監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
出演 セルジオ・カステリット ティツィアーナ・セダート レオポルド・トリエステ
1995/イタリア
第2次大戦直後のシチリア。おんぼろカメラと大量の「使用済み」フィルムを積んだトラックでジョーは田舎町を行く。銀幕の新人オーディションと銘打ったジョーの口上に乗せられて田舎の純朴な人々はカメラの前で『風と共に去りぬ』の台詞を嬉々として演じるのであった。ところが1人の少女。孤児のベアータがジョーの心を掴んだ・・・・。
2002-01-09
ベトナムに行きました。
異文化の空気にとまどいながらも、どっぷりと浸かった日々です。ベトナムは活気があり、街がそのままうねるように動いています。油断せず、気を抜かず(同じだ!)でも、楽しんできました。
- 道路横断は恐ろしい!
- ・ハノイの街は、信号そのものが少ないのです。たまにあっても、歩行者用青信号はわずか2秒ほどで赤に変わってしまいます。バイクも、車も自転車も、かまわず突っ込んできます。あっちでもこっちでもクラクションの激しい鳴らし合い。道路を渡るのは、初めは決死の覚悟でした。ところが、3日も経つともっと恐ろしいことに、うるさいクラクションにも慣れてきました。
- ・バイクは、市民の足。2人乗りは当たり前、3人、4人、中には5人乗りもあるそうです。1台のバイクに何人もが、しがみついて乗っているのを見ると、仲良くなければ無理だなと思います。そして、「一緒に乗ることで仲良くなっていく家族やカップルもあるのじゃないかしら・・」なんて思いました。
- 水上人形劇は「カロロ~ン、パシャッ、パシャッ、コ~ン」
- ・けっこう大きな人形が、水の上で素早い動きをします。動物もたくさん出てきました。息のあった歌と語りと掛け声。花火も効果的でした。
- ・終わって、簾の後ろから登場した人形遣いは、女性2人を含め、9人。みんな肩や腕の筋肉モリモリで、息弾ませていました。
- 食べ物は、生に気をつけて!
- ・料理はニョクマム(魚醤)を使うものが多く、塩、胡椒が(個人的には)強く感じました。
- ・ゴイ・セン・・・エビと豚肉とハスの茎をニョクマムで和え、砕いたピーナッツをまぶす。ハスがしゃきしゃきして、ウドのようです。
- ・フォー・・・ベトナムのうどん。サラサラとした真っ白なうどんに唐辛子がピリリと利いて毎日毎日飽きもせず食べました。
- ・生水と生魚は、食べないようにしていました。本当は生野菜とフルーツも食べないつもりだったのに、つい誘惑に負けました。スイカ、リンゴ、ナシ、オレンジ、パイナップル、珍しいのはタン・ロンという果物。白い大きな果肉に、ごま塩を全体に振ったような。さっぱり味。(キウイフルーツの味に似ています。)
- 手動ウオッシュレット?
- バケツの水を手桶に汲んで流すトイレに入りました。ベトナムの人は、この水で手動ウオッシュレットをするときもあるそうです。
- タムコック・ビックドン川下りは疲れる
- ・ブリキの舟。15歳の娘とその母親が船頭でした。始めは手で、後には足で器用に漕ぎました。水面には魚が跳ね、岸辺には竹で編んだ舟、三角屋根の小屋があり別世界のようです。しばらく進むと大きな鍾乳洞の中に入りました。上からまだまだ滴がしたたり、鍾乳石が垂れ下がっています。
- ・戻り舟になると、お土産攻勢が始まりました。狭い舟の隣にピタッと母親が座り、刺繍のテーブルクロス、花瓶敷き、壁掛け、Tシャツなど、自分の膝だけではなく、こちらの膝にまで広げ、片言の英語(他人のことは言えませんが・・・)で「買って買って」コール。景色を見る暇もあらばこそ・・・とても疲れました。
- バチャン陶器の安南ブルーは美しい!
- ・ハノイから、ガタガタ道を川沿いに行くと畑の中に陶器村が現れます。まだ15、6歳の男の子や女の子が、椅子に座り、絵付けをしていました。辛い労働かもしれないのですが、見た限りではおしゃべりをして音楽を聴いて笑い合っていました。その手の先から、細かいツタの模様や葡萄柄の美しい絵が生まれて、見てて飽きません。
- 生活は厳しい
- ・日本と較べて給料は15分の1。ガソリン代は、2分の1。だから生活は苦しく、医者も学校の先生もみんなアルバイトをしなくては暮らせないそうです。
- ・学校は小・中・高とも2部制で、午前だけか、午後だけしかありません。学校に行っていないときは、塾か自宅学習をします。愉快なのは、学校の先生が同じ子ども相手に自宅で塾を開いているそうです。
- 直行便が就航すれば・・・
2002-01-01
明けましておめでとうございます。
昨年は、お世話になりました。このページを通じて知り合えた方々もいらっしゃいます。本当にありがとうございました。
悲しいことも大変なこともあった2001年でしたが、友人に「どんな年だった?」と聞かれて、「いい年だった!」と即答した、わたしでした。
すっごい寒さの中、近くのお寺に初詣をしてきました。偉そうなお坊さんが行列して歩きながら、お経を唱えていました。
何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝晴れて風無し。
「苦しいときにあっても、幸せは身近な暮らしの中に、ときには日に何度も、私たちを訪れているのではありませんか。」(中坊公平「金ではなく鉄として」2001-12-31 朝日新聞)
“あの頃の未来に ぼくらは立っているのかなぁ・・・”
スガシカオさんの詩のとおり、そうです、今がそのきらきらとした未来です。
2002年もステキなことに出逢い、あたらしいことに挑戦していけたらいいなと思います。
皆様のところに、昨日より今日、今日よりも明日へ、幸せがたくさんきますように!!!
どうぞ今年もよろしくお願いします。