〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木は「推敲魔」として有名 その具体例は… <2(おわり)>


[イエロー・シンプリシティ]


現代短歌 2018年6月号 

特集 歌人の推敲
  石川啄木の推敲」 <2(おわり)>
     大室 精一


〇 慟哭の真一挽歌 実は誕生歌の改変か?

   真白なる大根の根の肥ゆる頃
   うまれて
   やがて死にし児のあり
                『一握の砂』546

この歌は『一握の砂』末部の「真一挽歌」八首中の一首であり、生後わずか24日で他界した長男真一への哀切極まりない、啄木の深い慟哭の想いに溢れている。
ところが、この歌の元歌は「挽歌」ではなく「誕生歌」であったと思われる。啄木は真一誕生の喜びを複数の書簡に記しているが、例えば宮崎郁雨宛書簡(明治43年10月4日附)中には、次の三首が含まれている。

 (A)真白なる大根の根のこゝろよく肥ゆる頃なり男生れぬ
 (B)十月の朝の空気に新しく息吸ひそめしすこやかの児よ
 (C)十月の産病院のしめりたる長き廊下のゆきかへりかな

上の三首の内(B)(C)の二首は「誕生歌」として『一握の砂』に入集している。(A)の歌だけは最初は(B)(C)の歌と共に「誕生歌」として入集していたと思われるが、後に「挽歌」に改変されたことになる。

それは、『一握の砂』編集の最終段階において長男真一の死去に伴い、「真一挽歌」の八首を急遽増補することになったためである。増補歌が八首(四首の倍数)に限定されるのには理由がある。『一握の砂』の頁割付は啄木が詳細に指示していて、一頁二首(見開き四首)の歌数、さらに各章の末尾歌は右頁一首目に配置という法則があるためである。そして増補の際、諸雑誌(「精神修養」「スバル」明治43年12月号)に掲載された真一の挽歌は七首しかなかったため不足する一首を補う必要があり、(A)の歌だけ急遽「誕生歌」が「挽歌」に改変された。これも啄木独自の「編集による表現」の手法ということになる。


(中略)


いずれにしても、「一握の砂以後」と「諸雑誌掲載歌」とにおける推敲の流れを確定しない限り、我々は本稿のテーマである「石川啄木の推敲」のみならず、『一握の砂』から『悲しき玩具』へという啄木の短歌史にも永遠に辿り着けないと思われるのである。



(大室精一 国際啄木学会副会長)
 (「現代短歌」 2018年6月号 通巻58号 現代短歌社発行)


(おわり)



 啄木と牧水の深い交流 岩手とのつながり 〜9/17

牧水 啄木と深き友情 石川啄木記念館企画展

  交流伝える資料紹介

  • 石川啄木記念館(森義真館長)の企画展「啄木と若山牧水」は、盛岡市の同館で開かれている。牧水が来県した際に書いた歌幅などの資料が北上市の個人宅に残されており、16点を初展示。啄木が寄稿した牧水主宰の雑誌など計約80点の資料を通じ、牧水と啄木の交流、岩手とのつながりを紹介する。
  • 企画展は3章構成。「牧水と岩手」では、牧水が計3回来県したことを紹介。途中立ち寄った北上市では「創作」同人の福地房志家に所蔵されている「しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり」の、直筆歌幅や書簡などが初めて展示された。
  • 担当学芸員鳥取邦美さんは「啄木と牧水は約1年半の短い間だが深い交流があったこと、牧水が来県して岩手に資料が残っていることを知ってほしい」と全国を旅した歌人との縁を強調した。
  • 9月17日まで。6/23、7/29,8/26の午後2時からギャラリートークがある。


(2018-06-01 岩手日報



 東北絆まつりの東京五輪開会式出演に向けて力添えも

啄木が紡ぐ縁 東京・文京区長 市役所訪れる

  • 東京都文京区の成沢広修区長は1日、盛岡市役所を訪れ、歌人・詩人石川啄木を縁とした交流の推進を谷藤裕明市長と確認した。交流が活発な両市区は、来年2月に友好都市協定を結ぶ方針だ。
  • 同区は啄木が晩年を過ごした場所であることから両市区の相互交流が始まった。8月1〜4日の盛岡さんさ踊りにも成沢区長や区民約40人が参加する予定だ。
  • 谷藤市長は「文化交流による地域の活性化を図っていきたい。東北絆まつりの東京五輪開会式出演に向けて力添えもお願いする」と連携強化を誓った。

(2018-06-02 岩手日報