2012-07-02 中学時代の啄木と仲間たちの働き 啄木 広場 [カシワバアジサイ] 東奥日報>天地人 旧制盛岡中学時代の石川啄木と仲間たちはなかなかいいところがあった。「足尾銅山(栃木県)の鉱毒被害を受けた農民に義援金を贈ろう」。1902(明治35)年1月29日夜、こんな相談をしていた。 どうやって金を集めるか。思案しているところへ「八甲田で青森第5連隊が遭難したそうだ。岩手日報で号外を出す」と知らせがあった。「それじゃみんなで号外をさばいて、義援金を」となった。 ・・・ 遭難した兵士たちの手術前の写真7枚が昨年の東日本大震災の際、陸上自衛隊衛生学校(東京)で見つかっていたという。啄木没後百年の今年、何やら人の世の巡り合わせの不思議を感じさせられる。 (2012-07-02 東奥日報)