節目の年につきデザイン変更
ウェブページ「本家 啄木の息」を初めて作ったのは、ちょうど2000年でした。ことしは10年目になります。この「ブログ版」のほうは4年です。訪れてくださる皆さまのお陰でここまでやってきました。
知らぬ間にどんどん重くなってしまったデザインを、清水の舞台から飛び降りるつもりでバッサリ切り取りました。カレンダー、カテゴリーなどは下に移動しました。
身軽になって新たな一歩を踏み出します。これからもよろしくお願いします。
[ハルリンドウ]
100年後にも……
啄木忌・4月13日はとっくに過ぎたが、ふと目にした文章に惹かれた。
啄木は、「ダメ人間の典型として、多くの人びとに支持され愛されて不朽の名声を獲得している」。盛岡中で、啄木の「二年先輩の及川古志郎(海軍大臣)は立派人間の典型であった」。しかし、「今日啄木が天才歌人として不朽の名声を得ているのに反して、及川古志郎は誰一人省みる者はなく、戦後のわかもので彼の名を知る者はいない」 [岩城之徳「啄木忌に憶う」(短歌シリーズ・人と作品 10『石川啄木』月報 おうふう)]
死後まで見とおすと、人間世界は面白いとも言っている。今年は啄木の99回忌だった。いま生きている人びとのほとんどがいない100年後も、きっと啄木の歌は愛されているのだろう。
【黒耀石】
「今日は啄木忌」
--石川啄木の身長や体重は?
啄木は、1912年(明治45)の今日、4月13日、午前9:30に小石川区久堅町にて亡くなった。幼いときから、やんちゃで負けず嫌いだったという彼の体つきはどんなだったのだろう。
【啄木のからだつき】
- 啄木は小がらなほうであった。少年時代は、糸きり歯がみえ、笑うと右の頬にえくぼができた。おでこがひろかったので、小学校時代には「でんぴこ」や「でんぴ」というあだながついた。また、頬がゆたかで肌が白くきめがこまかく、瓢箪を思わせたので、「ふくべっこ」ともよばれたという。
- 成人してからも、身長五尺二寸二分(約158cm)、体重十二貫(約45kg)、渋民村での徴兵検査は、「筋骨薄弱で、丙種合格、徴集免除」というものだった。
あけましておめでとうございます。
「啄木の息」においでくださいまして有り難うございます。昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
これからも啄木追っかけアンテナを高く掲げ、耳を澄まして歩きます。
皆さまにも、そして私にも、2009年が幸せな年になりますように!
明治43年暮れの啄木。24歳。生まれたばかりの長男を亡くし父も母も妻も不健康、自分も体の不調のため夜勤をやめた。
「而して残額僅かに一円二十一銭に過ぎず。」
負債は百数十円・・・。
こうして迎えた1911年(明治44年)1月。啄木は詠う。
何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝晴れて風無し。
石川啄木
啄木の目線は未来にあります。
変えられない過去はすっぱり忘れ、明日へ向かっています!
【カフェテラス】
「日本人は最も好ましい観光客」2年連続
エクスペディアが行った「ベストツーリスト(世界最良の観光客) 2008」で、日本人が第1位に選ばれた。
世界3万2000軒のホテルをランダムに選択しホテルマネージャーに対して国別の旅行者のイメージ調査をしたところ、日本人は「行儀がいい」「礼儀正しい」「ホテルで騒がない」「クレームが少ない」の4項目で1位、「部屋を清潔に使う」で2位だった。
日本人は昨年に続いて総合第1位となった。2位は同ポイントでドイツ人とイギリス人。
ホテルで大騒ぎしたりして、最も行儀が悪いのはアメリカ人だそうだ。
日本人は、いいなりでおとなしいからだろうか。平和であることが日本人を穏やかにするのだろうか。殺伐とした事件が続くなか、外から眺める日本は興味深い。
【フジ( TV ? )】
「CHANGE 月9ドラマ」
ある与党議員とその長男が急死する。補欠選挙には、次男である冴えないが憎めない男が担ぎ出される。これが、木村拓哉さん演じるヒーロー。選挙プランナー・阿部寛さんの陣頭指揮のもと、選挙戦がスタートする。
やがて総理になるらしいこのヒーローは、まず父親の過去の不正に謝罪する。謝ったところで何ももとに戻るわけではないのだが………。頭を下げてから物事は始まる・・・・何かが始まるかも、という期待を聞く人に持たせる。そんな力がヒーローにはあるようだ。
絵にかいた餅をどこまで手が届きそうに思わせるか、真実味を持たせるか。政治に対する夢をふくらませることができるのか。
う〜〜む、む、む、む、むりっぽい。
マドンナの歌う「マイルズ・アウェイ」を聴き、ちょっと気持ちよくなってあれこれ考えた。
【ハナカイドウ】
「あれから何年たったかねえ・・・・・」
電車内でそんな言葉が聞こえた。返事はないから携帯をかけているのだろう。
「・・・そうだねえ。・・・うん、・・・うん」同じ声が続く。
“あれから何年たったんだろう”
わたしも想いを巡らした。
たまたま車内にいたひとは、それぞれのあれからを考えたかもしれない。
“あのころのみらいに ぼくらはたっているのかなぁ”
“このままどこまでも ひびはつづいていくのかなぁ”