4月13日 啄木忌
千九百十二年日記
石川啄木
一月一日今年ほど新年らしい気持ちのしない新年を迎へたことはない。といふよりは寧ろ、新年らしい気持ちになるだけの気力さへない新年だつたという方が当つてゐるかも知れない。からだの有様と暮のみじめさを考へると、それも無理はないのだが、あまり可い気持のものではなかつた。朝にまだ寝てるうちに十何通かの年賀状が来たけれども、いそいそと手を出して見る気にもなれなかつた。
いつも敷いておく蒲団は新年だといふので久し振りに押入にしまはれたが、暮の三十日から三十八度の上にのぼる熱は、今日も同様だつた。二日だけは気の張りでどうかかうか持ちこたへてゐたが、今日はとうとうまゐつてしまつた。先づ朝早くから雑煮がまづいと言つて皮肉な小言を言ひ、夕方に子供が少し無理を言ひ出した時には、元日だから叱らずに置かうかと自分で思つたのが癪にさはつて、却つてしたゝか頬辺をなぐつて泣かせてやつた。ぢつとして行火に寝てゐても、背中に熱のあるのが絶えず意識に上つて、不愉快で不愉快で仕方がなかつた。
日記は、この年の2月20日で終わる。
迎えた4月13日。
早朝より危篤。午前9時30分、死去。
死因は、肺結核であると言われて来たが、結核ではあるにしろ、肺結核であったかについては疑問も提出されている。
最後をみとった者は、妻節子(妊娠8カ月)の他、父一禎と友人の若山牧水であった。
啄木は26歳と53日を生きた。