〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木は「わが家と呼ぶべき家」を夢想したが その住宅事情は・・

カワヅザクラ

『文豪たちの住宅事情』

田村景子(著/文 他)


夏目漱石から水上勉まで、総勢30名の文豪が、なぜその「土地」「家」に住んだのかを、人生の流れを通してその「事情」を解説

 

石川啄木の住宅事情

 東京と故郷、憧れに生きた貧しい暮らし

・啄木にとっての故郷は、幼くして移り住んだ岩手県岩手郡の渋民村。村外れの父一禎が住職を務める宝徳寺で暮らした。啄木らの居間である奥の間や十二畳の食堂、囲炉裏のある板の間、父の書斎など、両親と姉二人、妹一人の六人が暮らせるだけの広さがあった。

・16歳の啄木は上京し、下宿を渡り歩くなかで病を得、帰郷。

・19歳。節子と結婚し、盛岡市帷子小路の家で両親と妹と暮らす。茅葺のこの家はもともと武家屋敷で、啄木一家は四畳半と八畳を間借りする。啄木にとってこの部屋は「天下の最も雑然、尤もむさくるしき室」だったが、同時に、そこで過ごした三週間余りの日々は「半生に於ける最大の安慰と幸福を与へ」てくれたという。

盛岡市内の借家

・渋民村

・北海道

・25歳の8月。東京都小石川区久堅町の貸家へ。「門構へ、玄関の三畳、八畳、六畳、外に勝手。庭あり。附近に木多し。夜は木立の上にまともに月出でたり」。日当たりもよい南向きのこの家が啄木の終の棲家となる。

・晩年の詩『家』には、「わが家と呼ぶべき家」を夢想した、こんな一節がある。「場所は、鉄道に遠からぬ、/こころおきなき故郷の村のはづれに選びてむ」。東京に恋焦がれ続けた啄木だが、楽にならぬ生活の中で思い描いたのは、追われるように去った渋民村に建つ「西洋風の木造のさつぱりとした」家だった。

 

『文豪たちの住宅事情』
田村景子(著/文 他) / 小堀洋平(著/文 他) / 田部知季(著/文 他) / 吉野泰平(著/文 他)
出版:笠間書院 発行:2021年 定価:1,800円+税