骨董漫遊
【25】石川啄木の日記 その一 「少女の絵」とは、もしや
- 旧制盛岡中学(現盛岡一高)を中退し、直後に16歳で上京した明治35(1902)年10月30日の記述から始まる。11月7日のくだりを読んで驚愕(きょうがく)した。「上野公園に紫玉会油絵展覧会を見る。数百枚のうち大方は玉置照信氏一人の作にして(略)少女(ヴァイオリンの)照信氏作(略)やや見るべし」
- 描かれているのは、明治、大正期の典型的な女学生の姿だ。夏服の白い小袖に紫の袴(はかま)。足には黒革靴。髪を高く結い、リボンを着けている。
- 少女の表情は私が中学時代、恋い焦がれていた年下の女性に似ていた。そう、初恋の人。自分の少年の日の記憶が、一挙によみがえる。この絵がほしいと思った。絵が大きいことも所有欲をかき立てた。大きな絵を自宅の壁に飾りたい-というのが私の幼い頃からの夢だったから。
- 作者や絵の来歴については「絵の右下にT・TAMAKIのサインがある。それ以上のことは分からない」。私にはそれで十分だった。
- 入手した年の暮れ、集合住宅を購入して引っ越し、ようやく壁につるすことができた。すると、「T・TAMAKI」が気になりだした。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事)
(2021-02-22 神戸新聞)
*記事には絵の写真があります。