〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木しのび106回忌法要 盛岡・渋民」


[啄木と妻・節子の写真が掲げられた宝徳寺祭壇(撮影:山田武秋氏)]


歌人 石川啄木の遺徳偲ぶ/岩手・盛岡市」[IBC岩手放送]

  • 4月13日は歌人石川啄木の命日です。啄木の故郷、盛岡市の寺では法要が営まれ、参列した人たちが郷土の先人の遺徳を偲びました。
  • 法要が営まれたのは、啄木が18歳までを過ごした宝徳寺です。歌集「一握の砂」や「悲しき玩具」で知られる啄木は、現在の盛岡市渋民で生まれ、北海道での新聞記者生活や東京での作家活動を経て1912年、明治45年の4月13日に、26歳という若さでこの世を去りました。13日の106回忌の法要では、県の内外から訪れたおよそ100人が参列して焼香を行い、地元のコーラスグループが、啄木の歌を音楽に乗せて捧げました。
  • 今年も6月には渋民文化会館姫神ホールで「啄木祭」が開かれ、歴史小説家の井沢元彦さんの講演などを通じて、啄木の偉業をより深く学ぶことができます。

(2017-04-13 IBC岩手放送記事


石川啄木没後105年しのぶ法要」[NHKニュース]

  • 法要では、寺の住職たちがお経をあげる中、参列者一人一人が焼香して啄木をしのびました。また、地元のコーラスグループが啄木の歌集の代表作「一握の砂」に収められている、啄木がふるさとに思いをはせた短歌にメロディーをつけ合唱しました。このほか、地元の詩吟愛好会が渋民小学校の校歌にもなっている「春まだ浅く」という詩を吟じ、啄木をしのんでいました。
  • 啄木のいとこの孫で、一戸町に住む上田初子さんは、「没後105年でこれだけ多くの人が集まるのは幸せなことです。魅力のある歌を残した結果と感じました」と話していました。

(2017-04-13 NHKニュース>岩手)

記事


「啄木しのび106回忌法要 盛岡・渋民の宝徳寺」[岩手日報]

  • 啄木祭実行委委員会の竹田孝男委員長があいさつ。参列者一人一人が読経に合わせて焼香し、地元のコールすずらんと玉山吟詠会がそれぞれ啄木作詞の歌や詩吟をささげた。同寺のふすま絵「松桜(まつさくら)図」も公開し、訪れた人は、1〜18歳に同寺で過ごした啄木の生涯をなぞっていた。コールすずらんの佐藤佑子代表は「郷土の歌を地元の自分たちが歌うことで、啄木の思いを表現していきたい」と活動への意欲を高めた。
  • 前夜祭は12日、プラザおでってで行われ、絵本作家でエッセイストの沢口たまみさん、岩手日報社学芸部の阿部友衣子記者ら女性5人が、啄木の魅力や妻節子らについて語り合った。「大逆事件」をテーマにした国際啄木学会監事・平出洸(ひらいでひろし)さんの講演も行われた。
  • 宝徳寺近くの石川啄木記念館は25日〜9月3日、啄木と「一握の砂」の魅力を紹介する企画展や、6月3日に啄木祭を行う。

(2017-04-14 岩手日報記事


「「啄木忌」渋民で法要」[朝日新聞]

  • 読経、焼香の後、地元のコーラスグループが、啄木の望郷の歌「やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに」「かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川」をメロディーにのせて捧げた。
  • 啄木忌に先立ち、12日夜に盛岡市内で前夜祭があった。啄木研究などに携わる女性たちが、女性の視点から見た魅力を語り合った。国際啄木学会盛岡支部の主催。
  • 岩手日報記者の阿部友衣子さんは、生誕130年の昨年に連載した取材から、「『借金王』や『いいかげん』というイメージがあるが、とても一生懸命に生きていたという印象を受けた。心の苦悩を書いた日記は現代人に共通する感覚が多い」と評した。
  • 昨年度まで石川啄木記念館の学芸員を務めた中村晶子さんは「負の部分も多い人生から魅力ある歌が生まれた。マイナス面も含めありのままを知り、伝えることが啄木理解につながる」と述べた。
  • 同学会評議員吉田直美さんは、宮沢賢治と対比され、「立派な賢治」対「ろくでなしの啄木」と図式化される傾向があると指摘。「地元の岩手でも深く読まれていないのが寂しい。誰にでも寄り添う作品を多くの人に読んでほしい」と要望した。(斎藤徹

(2017-04-14 朝日新聞記事


「啄木忌 120人しのぶ 少年時代過ごした寺で」[読売新聞]

  • 啄木祭実行委員会の竹田孝男委員長が「日本人の心を詠んだ啄木の作品から、何かを学ぶ思いを新たにしてくれたら」などとあいさつ。参列者は啄木と妻・節子の写真が掲げられた祭壇に焼香した。啄木と親しかった歌人で弁護士の平出修との交流を紹介する講演も行われた。
  • 渋民では啄木忌のほか、6月3日午後1時半からは盛岡市渋民文化会館で恒例の「啄木祭」も開かれる。作家の井沢元彦さんが「『逆説』で読む啄木の歌」と題して講演する。問い合わせは、石川啄木記念館(019・683・2315)へ。

(2017-04-14 読売新聞)記事


「ファン120人しのぶ 盛岡・宝徳寺 /岩手」[毎日新聞]

  • 僧侶が読経する中、参列者が焼香した後、地元のコーラスグループ「コールすずらん」が啄木の短歌に曲を付けた歌を披露。地元の「玉山吟詠会」は啄木の短歌を吟じた。法要の後には、啄木と親交があった歌人で弁護士の平出修の孫、平出洸さんによる講話もあった。
  • 啄木への思いを込めて歌を披露したコールすずらん代表の佐藤佑子さんは「啄木は100年も前に生まれたにもかかわらず、今の社会を生きる私たちに通じる感性を持っている。郷土の歌人の歌を、郷土の私たちが歌うことに意義があると思う。これからも歌い継いでいきたい」と話していた。【鹿糠亜裕美】

(2017-04-14 毎日新聞記事


「斜面」[信濃毎日新聞]

  • 金に苦しんだ石川啄木は「借金メモ」を残した。そこに釧路市の4カ所の料亭と、7円、12円、22円、4円の記載がある。啄木は1908(明治41)年1月〜4月、釧路で新聞記者として活躍しながら、料亭通いや芸者遊びにおぼれた。小樽に残した妻子に仕送りもせず、給料をつぎ込んだうえ「つけ」で遊んでいたらしい。
  • 啄木の時代と同じだった契約のルールがやっと見直される。民法改正案で「つけ」による飲食店の未払い請求期限が5年に統一される。
  • 啄木の借金は、釧路啄木会会長の北畠立朴さんに教わった。釧路では下宿代などを合わせれば170円に上るが、取り立ての動きは起きなかった。「出世払い」が許されていた時代だ。放蕩(ほうとう)生活は文学の肥やしになった。現代はギャンブルなど誘惑も多い。欲の落とし穴はずっと深く怖い。

(2017-04-14 信濃毎日新聞記事


歌人啄木 古里の誇り 106回忌に120人」[河北新報]

  • 参列した約120人が遺影に手を合わせ、地元の合唱団が啄木の詩を題材にした歌をささげた。実行委員長の竹田孝男さんは「啄木の生涯や作品の中から何を学ぶべきか、思いをはせる機会にしたい」と述べた。
  • 盛岡市の主婦木村昭子さんは「啄木の詩は日常の感情が素直に表されていて心に染みる。古里の偉人として誇りに思う」と話した。
  • 今年の啄木祭は、盛岡市姫神ホールで6月3日午後1時半から。歴史小説井沢元彦氏の講演などで在りし日の啄木をしのぶ。

(2017-04-14 河北新報記事


「106回石川啄木忌で法要と講演」[函館新聞]

  • 函館ゆかりの歌人石川啄木の命日となった13日、函館啄木会(岡田弘代表理事)は市内住吉町の東海山地蔵堂で、106回忌の法要を開き、参列した関係者や市民43人が墓前などに手を合わせ、函館を愛した才能ある歌人をしのんだ。
  • 参列者は堂内で焼香を済ませた後、強風の中、石川啄木一族の墓へ移り、墓前に手を合わせた。法要後の追悼講演には、市文学館の元説明員ボランティア竹原三哉さんが「お墓にまつわる話」と題して講演し、関係者が納骨された時期などの謎に迫った。
  • 現在知られている墓碑は1926(大正15)年7月末、啄木の義弟で歌人の宮崎郁雨や当時の函館図書館長岡田健蔵によって建てられ、啄木や妻をはじめ、3人の愛児や両親などが眠っているとされている。竹原さんは、墓碑建設の経緯を語り複数の作家らが残した記述の違いに着目。「一族関係者の遺骨が埋葬、納骨、移葬した時期などに違いがある。今となっては証言者がおらず、分からないことも多い」と語った。
  • 今年は啄木が函館を訪れて110年の節目にあたる。市内の歌人で鈴蘭の会を主宰する芹澤伸子さんは「法要に来るたび、春の訪れとともに、ひとつの節目を感じている」と話していた。

(2017-04-14 函館新聞記事