「タイムトラベル」【読売新聞】
遺作2首の直筆原稿を複写
- 病、貧苦、家庭不和、親友との絶交──。「全く絶望の境にいる」と日記に記した3か月後、歌人・石川啄木(1886〜1912年)は小石川の借家で病死した。享年26歳。一昨年、終焉地に隣接する高齢者施設の一角に歌碑と顕彰室が完成。歌碑には、最後の作とされる2首の直筆原稿が複写されている。その一つ。
「眼閉づれど/心にうかぶ何もなし。/さびしくもまた眼をあけるかな」
- 啄木が危篤の時、5歳だった長女は何も知らず、門口で桜の落花を拾って遊んでいたという。その長女の孫、つまり啄木のひ孫が東京都世田谷区の石川真一さん(51)。生後すぐに亡くなった啄木の長男と同名で、歌碑の除幕式にも出席した。
- 東日本大震災後、啄木の故郷・盛岡の啄木祭に招かれた際に、被災者から「啄木の歌に勇気づけられた」と感謝された。「こういう時代だからこそ、歌が心のクスリになれば」と話す。真一さんの長男は盛岡で勤務、震災復興の仕事にも関わっている。(阪口忠義)
(2017-01-05 読売新聞 夕刊)