〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

もんじゃの街 月島にいた “啄木”

結核予防キャンペーンのポスター。


東京メトロ有楽町線と、都営地下鉄大江戸線が乗り入れている「月島駅」構内のポスター。

駅を出るとそこはもんじゃストリート。70軒を超えるもんじゃの店が連なる。








  「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川」
小学校を首席で卒業、神童と噂された啄木は、25歳で慢性腹膜炎のため手術。
  「呼吸(いき)すれば胸の中(うち)にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりもさびしきその音!」
1912年4月13日、肺結核のため永眠。享年26。

  • 平成26年度の日本の結核患者数は約2万人、そのうち約2千人が亡くなっている。なぜ根絶できないのか?
  • 結核に対する免疫をもたない若い世代が増えた。社会的・経済的なハンディをもつ人の発病、抗生物質が効かない多剤耐性菌による発病など。

(2016-04-14 HEALTH PRESS)(2016-03-24 INSIGHT NOW!)






これは、石川啄木 22 歳の肖像。
元の写真では、啄木の左に金田一京助がいる。

  • 明治41年10月4日、九段坂・佐藤写真館で「明星」100号の掲載用として撮影された。このあと二人は、日比谷公園に行き松本楼で夕食。浅草を逍遙、本郷でそばをすすり、下宿に帰って寝たのが11時。ほぼ毎日のように会い、語り合い、ときを過ごしていたのだった。(別冊太陽 日本のこころ 195「石川啄木―漂白の詩人」)