〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

発見! 石川啄木と義父・堀合忠操との不思議な縁


[レースフラワー]


石川啄木>義父と不思議な縁 国際学会の小林さん確認 資料読み解くヒントに /岩手

  • 盛岡市出身の歌人石川啄木が子どものころに通学し、20歳で代用教員も務めた旧渋民小学校の改築式(1884年)に、啄木の義父・堀合忠操(ほりあいちゅうそう)(1858〜1931年)が出席していた−−。国際啄木学会盛岡支部長・小林芳弘さんが昔の新聞で確認した。小林さんは「啄木と忠操の不思議な縁を感じる。啄木の人生で不明な点を解明するのに、キーパーソンになるかもしれない」と意義を語る。
  • 小林さんは、岩手新聞(現・岩手日報)の1884(明治17)年10月23日付紙面に、啄木の義父忠操の記事を見つけた。記事は「学校新築」という短信。「北岩手郡渋民村の渋民小学校は此ほど落成し去る廿日開校式を執行し(略)郡役所よりは準判任御用係堀合忠操君が臨まれ(略)」とある。このほか、忠操が「南北岩手紫波郡役所」の役人として行軍の付き添いや、第1回衆院選の書記として開票所で活動した別の新聞記事も見つけた。
  • こうした忠操の一連の記録は、啄木研究の中で解明できていない、「借金メモ」と呼ばれる資料を読み解くヒントにつながるかもしれないという。
  • 今回の発見について、石川啄木記念館の森義真館長は「これまで堀合忠操にはほとんど光が当たっておらず、わからないことが多かった。啄木や節子の行動で明らかになっていない部分の参考にもなり、貴重な発見だ」と話す。【浅野孝仁】

(2015-05-28 gooニュース>毎日新聞

────────────────────────────────────