〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

若山牧水「別離」は石川啄木の「一握の砂」と並んで支持を得た


[シダレウメ]


若山牧水「海よかげれ水平線の黝みより…」
 故郷か歌道か 27歳の苦悩

 <海よかげれ水平線の黝(くろ)みより雲よ出で来て海わたれかし>

  • 早春の岬に立ち、27歳の若山牧水はやるせなさを募らせていた。
  • 前年、1912年(大正元年)夏。「チチ、キトク」の報で宮崎県東郷村坪谷(現日向市)に戻ると、開業医の父は老いて弱り、母や親族からは家を継ぐよう、懇願された。出産までに入籍を請う新妻の手紙も、長野の実家から追いかけてきた。東京で創刊した短歌誌の資金繰りも苦しかった。11月、父は死す。
  • 18歳で上京し、早稲田大では福岡から出て来た北原白秋と、次いで岩手出身の石川啄木とも親しくなった。23歳で第一歌集「海の声」を出版した牧水は、恋愛に翻弄されつつ、時代の中央で才能を磨く。第三歌集「別離」は啄木の「一握の砂」と並んで明治末、青年らの熱い支持を得ていた。
  • 貧しくとも東京で歌を究めるか。日向で職を求め、地道に暮らすか。故郷で一人、迷い続けた牧水は、山間の坪谷から美々津の港まで度々出かけている。近くの権現崎の照葉樹林へ分け入り、日向灘、太平洋を見渡す岬で歌を詠んだ。(文・尾崎真理子 写真・青木久雄)

(2015-03-16 読売新聞>新おとな総研)

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