[会津「法用寺」の啄木歌碑]
「あぶくま抄」【福島民報】
- <敵として憎みし友とやや長く手をば握りきわかれといふに>。明治40(1907)年秋、北海道小樽市で新聞記者をしていた歌人の石川啄木は、勤務先の事務長・中野寅吉とけんか別れし退社した。翌年1月、中野の見送りを受け駅頭で詠んだ歌だという。
- 中野は赤沢村(現会津美里町)に生まれた。地元の法用寺で住職を務め、大正時代から戦後にかけて衆院議員に8回当選した。
- 豪放磊落[らいらく]な性格で、繊細な啄木とは気質が合わなかったのではないか。昭和22年4月、戦後初めての知事選にも立候補した。4人中、3位に終わった。啄木は既に亡くなっていたが、生きていたらどうしただろう。啄木研究家の岩城之徳氏は、先の歌を<一瞬憎悪の消えた「わかれ」の情景>と解釈した。
(2014-10-26 福島民報)
─── ─── ─── ─── 「法用寺」に「啄木歌碑」を訪ねて……啄木文学散歩
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